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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~倉吉市篇~ > 倉吉市 > 三江城

◆ 三江城

【 概 略 】

城に関する詳細は不詳。

国府川と北谷川が合流する地点より西側の丘陵先端に所在したとされる。

 

日本歴史地名大系32巻 鳥取の地名の三江村の条では番田山に伯耆国高城城の出城が築かれていたと伝え、番田山の山頂には番田山清源寺と号する寺院があったとも記述が見える。

 

高城城に国司伯耆守親俊が居城した頃の話とし、1524年(大永4年)、大永の五月崩れで落城とされている。

 

「新修 倉吉市史」に遺構の状態や地理的要素から城跡と推定する旨の記述が見える。

現在の番田稲荷神社が鎮座する丘陵が城跡と推定され、多段の郭跡と土塁や堀切など防御施設が残る。

西の大堀切は「鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)」に記載の縄張図では直線になっているが、主郭を取り囲むよう北側にも展開し、主郭西側~南側へ続く土塁から南の切れた土塁までを繋げた形状から虎口とも推測でき、堀切ではなく空堀とも考えられる。(神社造営による改変も考えられる)

 

ここより西の高城山、高城城の支城、あるいは出城としての機能を持った城砦と推測される。

【 遠 景 】

北東からの遠望(手前は国府川)

番田稲荷神社の鳥居

番田稲荷神社

番田稲荷神社への参道

【 見どころ 】

南西の大堀切

当城に関する詳細はよくわかっていません。

ここから西に所在する高城城の支城と云われますが、西側に大堀切を設けて西側の防御を高めています。

北側は国府川を天然の川濠として利用したと考えると高城城の支城として北~東からの敵に備えたのではなく、高城城と相対した城砦なのかもしれません。

その際は移動に舟を使ったことも推測できそうです。

【 概 要 】

名 称三江城(みえじょう)

所在地:鳥取県倉吉市三江

築城年:不明

廃城年:不明

築城主:不明

城 主:不明

形 態:丘城

遺 構:郭跡、土塁、堀切、切岸、空堀?、虎口?

現 状:番田稲荷神社、山林

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・新修 倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月発行:倉吉市史編集委員会)

・日本歴史地名大系32巻 鳥取の地名(1992年10月:平凡社)

【城娘】

 

【 縄張図 】

三江城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

大永4年

1524年

大永の五月崩れにて落城と云われる。

【 写 真 】(訪問日:2015/05/24)

番田稲荷神社への参道から城域へ

参道から画面中央へ進むと東端土塁

東端土塁と堀切(北側から)

東端土塁と堀切(南側から)

東端堀切(北側)

東端郭跡(東四郭)から腰郭

東端郭跡の切岸と直下帯郭(南側)

東端郭跡の切岸と直下の帯郭(北側)

東端郭跡には植樹

参道を順路通り進むと境内

参道と鳥居

参道から境内(東三郭)

東三郭の様子

東二郭に番田稲荷の社殿

東一郭の切岸

東一郭の様子

東一郭の様子

東一郭の南東に腰郭

主郭の様子

主郭の様子

主郭西側の小堀切と西側帯郭(西一郭)

西端の大堀切

大堀切(北側)

大堀切(南西側)

大堀切(南西側)

大堀切は主郭を囲む配置。空堀?

大堀切から西側も郭跡と考えられる

主郭西側の土塁 (南に向けて伸びる)

主郭南側に一部残る土塁。虎口?

主郭西側から南側の土塁