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HOME > 伯耆古城図録 ~倉吉市篇~ > 三江城 > 同好会活動日誌

◆三江城

【訪問日:2015/05/24】 登城難易度⇒★★(普通)

【 概 略 】

城に関する詳細は不詳。

国府川と北谷川が合流する地点より西側の丘陵先端に所在したとされる。

 

日本歴史地名大系32巻 鳥取の地名の三江村の条では番田山に伯耆国高城城の出城が築かれていたと伝え、

番田山の山頂には番田山清源寺と号する寺院があったとも記述が見える。

 

伯耆国高城城に国司伯耆守親俊が居城した頃の話とし、1524年(大永4年)、大永の五月崩れで落城とされている。

 

「新修 倉吉市史」に遺構の状態や地理的要素から城跡と推定する旨の記述が見える。

現在の番田稲荷神社が鎮座する丘陵が城跡と推定され、多段の郭跡と土塁や堀切など防御施設が残る。

西の大堀切は「鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)」に記載の縄張図では直線になっているが、

主郭を取り囲むよう北側にも展開し、主郭西側~南側へ続く土塁から南の切れた土塁までを繋げた形状から虎口とも推測でき、

堀切ではなく空堀とも考えられる。(神社造営による改変も考えられる)

 

ここより西の高城山に伯耆国高城城が所在したことから伯耆国高城城の支城、あるいは出城としての機能を持った城砦とも考えられる。

【 遠 景 】

北東からの遠望(手前は国府川)

番田稲荷神社の鳥居

番田稲荷神社

【 縄張図 】

【 概 要 】

名 称三江城(みえじょう)

所在地:鳥取県倉吉市三江

築城年:不明

築城主:不明

城 主:不明(南条氏?)

文 献:新修 倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月発行:倉吉市史編集委員会)、

    日本歴史地名大系32巻 鳥取の地名(1992年10月:平凡社) 、

    鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

形 態:丘城

遺 構:郭跡、土塁、堀切、切岸、空堀?、虎口?

現 状:番田稲荷神社、山林

種 類:史跡指定なし

 

【 地 図(倉吉市内のお城一覧) 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

大永4年

1524年

大永の五月崩れにて落城と云われる。

【 写 真 】

国府川沿いの番田稲荷神社看板が目印

番田稲荷神社への参道から城域へ

参道から外れ画面中央へ進むと東端の土塁へ

東端の土塁と堀切(北側から)

東端の土塁と堀切(南側から)

東端の堀切(北側)

東端郭跡(東四郭)から腰郭の様子

東端郭跡(東四郭)の切岸と直下の帯郭(南側)

東端郭跡(東四郭)の切岸と直下の帯郭(北側)

東端郭跡(東四郭)には植樹の形跡が…

参道を順路通り進むと境内へ

参道

参道から境内(東三郭)

東三郭の様子

東二郭に番田稲荷の社殿

東一郭の切岸

東一郭の様子

東一郭の様子

東一郭の南東に腰郭

主郭の様子

主郭の様子

主郭西側の小堀切と西側帯郭(西一郭)

西端の大堀切

大堀切(南側)

大堀切(北側)

大堀切(南西側)

大堀切(南西側)

大堀切は主郭を囲む配置。空堀?

大堀切から西側も郭跡と考えられる

主郭西側の土塁 (南に向けて伸びる)

主郭南側に一部だけ残る土塁。虎口の土塁?

主郭西側→南側の土塁

土塁が切れ不明瞭だが形状から虎口にも見える

【同好会活動日誌】

残念なことに全く情報が無い城跡ですよ。。。

遺構の状態と所在する地理的状況から城跡と推定しているようだけど…

名前が出てくる文献が全く無いのも珍しいわね。

頼りの番田稲荷神社に関しても鳥取縣神社誌に記述が見つからなかったので…ホントに謎ね。

神社を管理している宮司さんは近くに住んでおられるそうなので、近くに寄った時に伺うしかないかもね。

ということで、続報に期待してね!