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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~倉吉市篇~ > 倉吉市 > 打吹城

◆ 打吹城

【 概 略 】

標高204メートルの打吹山山頂を中心に築かれた山城。東伯耆の城郭の中でも最大級の規模を誇った。

主郭の北西部と南西部には木戸があったとされ、北西部には土塁を配した郭跡が残っている。

主郭北西部の土塁を配した郭跡には瓦が散布しており、破城の名残とも推測される。

【 遠 景 】

北東からの遠望

打吹公園からの登山口

東からの登山道

井戸跡

【 見どころ 】

時代により築城箇所が分かれる

城跡碑の建つ山頂の本丸以外に築城した人物にちなむ名称で呼ばれる郭跡が各所に存在します。

山中には南条備前守の備前丸、小鴨元清の小鴨丸と元清丸、山田越中守の越中丸があります。

麓の打吹公園には南条備前守居館の備前屋敷(南条屋敷)、里見忠義の里見屋敷、廃城後の政庁とする倉吉陣屋など、館跡もおおく所在しました。

登山道からは空堀や石垣跡など見ることも出来ます。

【 概 要 】

名 称打吹城(うつぶきじょう)

名 称:倉吉城(くらよしじょう)、宇津吹城・宇津葺城(うつぶきじょう)

所在地:鳥取県倉吉市仲ノ町、鳥取県倉吉市葵町、鳥取県倉吉市みどり町、鳥取県倉吉市鍛冶町

築城年:1356年~1361年(延文年間)

廃城年:不明

築城主山名師義

城 主:(伯耆山名氏)山名師義山名澄之山名氏豊(南条氏)南条信正小鴨元清山田越中守(毛利氏)吉川元春(中村氏)中村栄忠山田越中守(池田氏)伊木忠貞荒尾嵩就荒尾宣就荒尾秀就荒尾勝就荒尾甫就荒尾斯就荒尾厚就荒尾為就荒尾世就荒尾直就

形 態:山城

遺 構:郭、土塁、虎口、堀切、空堀、横堀、竪堀、畝状竪堀、枡形、石垣、櫓跡、居館跡、井戸跡

現 状:山林、原野、鎮霊神社、境内

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・伯耆民諺記・伯耆民談記

・新修 倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月発行:倉吉市史編集委員会)

【城娘】

 

【 縄張図 】

打吹城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

延文年間

1356年

1361年

大永4年

1524年

永禄5年

1562年

天正7年

1579年

天正8年

1580年

天正10年

1582年

天正13年

1585年

慶長5年

1600年

慶長14年

1609年

慶長19年

1614年

元和元年

1615年

元和3年

1617年

寛永9年

1632年

打吹山麓に陣屋(倉吉陣屋)が置かれ、明治維新まで倉吉荒尾氏による自分手政治が行われた。

【 写 真 】(訪問日:2013/05/06、2016/04/09)

東からの登山道

東の登山道と郭跡群

東の登山道と郭跡群

東の登山道と郭跡群

東の登山道と郭跡群

東の登山道と郭跡群

東の郭跡群

東の土橋

東の郭跡群

東の道中

東の郭跡群の土橋

東の郭跡群

東の郭跡群

武者溜り付近(地震後)

武者溜り

武者溜り

武者溜り(地震後)

武者溜り(地震後)

武者溜り

武者溜り

武者溜り

備前屋敷裏からの登山道(北側)

打吹公園からの登山道(北側)

道中の空堀

道中の空堀

道中の空堀

展望台付近

道中の祠

道中の堀切

道中の礎石

登山道

道中の空堀

道中の空堀

本丸南側の腰郭

本丸南西の虎口

本丸西側の腰郭

本丸西側の腰郭

主郭(本丸)の様子

主郭(本丸)の様子

主郭(本丸)の様子

主郭北西側の小鴨丸からの枡形虎口

主郭北西側の枡形虎口

主郭北西側の枡形虎口

主郭北西側の枡形虎口

主郭北西側の枡形虎口

主郭北西側の枡形虎口

主郭西側の木戸跡

主郭西側の木戸跡

主郭西側の木戸跡

主郭北側の土塁

主郭北側の土塁

天守台の城跡碑

天守台の城跡碑

天守台

天守台

天守台の城跡碑

天守台の石垣

天守台の石垣

天守台の石垣と北側腰郭

天守台の石垣

礎石残骸

石垣の破城痕

石垣の破城痕

石垣の破城痕

本丸と小鴨丸を隔てる空堀

本丸と小鴨丸を隔てる空堀

本丸と小鴨丸を隔てる空堀

本丸と小鴨丸を隔てる空堀

本丸から小鴨丸へ

土塁のある郭跡の瓦破片

土塁のある郭跡の瓦破片

西側麓の長谷寺

長谷寺の山門

長谷寺の境内

長谷寺の荒尾氏墓所

長谷寺境内の土塁

墓所の案内板

北西側麓の満正寺

満正寺から東側の山の遠望

北東公園側の大江神社

大江神社