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HOME > 伯耆古城図録 ~倉吉市篇~ > 山名氏豊館 > 同好会活動日誌

◆山名氏豊館【訪問日:2015/04/05】 登城難易度⇒☆(楽)

【 概 略 】

現在の「萬祥山大岳院」本堂付近に山名氏豊の居館が所在したと推定されている。

規模は40間(約72m)四方、堀を持って囲み土手(土塁)を巡らせた単濠単郭式の城構えと伝わる。

館を囲む土塁・堀の遺構は消滅しているとされるが北側を流れる玉川が堀の一部とも考えられている。

 

1992年(平成4年)、大岳院本堂改築の際に倉吉市教育委員会によって発掘調査が行われている。

中世の遺構として掘立柱建物跡14棟、溝状遺構5条、土壙、井戸跡が検出とあり、出土した遺物に

青磁、青白磁、白磁、朝鮮系白磁、備前焼、瀬戸焼、唐津焼、土師質土器などが見られることから

当時の富裕層が居住した屋敷跡と推定され、山名氏の守護所跡とする説もある。

但し、検出された遺構は山名氏豊の居館が所在した天正年間の遺構ではなく、天正年間より以前の

15世紀前半頃の遺構と考えられ、検出された遺構面の上面には焼土(焦土)面が確認されたとある。

伯耆民談記などに記述の見える山名氏豊の戦死後、兵火に遭った痕跡とも考えられている。

 

伯耆民談記(巻之第9)、伯耆民諺記(巻之第11)の大嶽院の条に以下の記述が見える。

「当寺は天正の頃、山名小三郎氏豊の館地なり。氏豊滅びて後は田園荒廃しけるに、

 中村伊豆守高閣を建立し、今に盛んなる禅林なり。境地四十四間、廻りは大藪にして

 切岸の土居なり。誠に要害堅固にして小城とも謂うべし。

 鎮守の社は八幡宮なり。俗に一夜屋敷八幡といふ。是は山名氏豊此地に館を構へ、居る事一夜にして

 出陣し、因州鳴瀧といふ所にて落命す(略)氏豊戦死の時、館には敵兵乱れ入り悉く放火す」

 

伯耆民談記(巻之第14)の「倉吉城の事」の条に以下の記述が見える。

「(略)小三郎氏豊も所々流浪し、芸州の毛利家に便り。

 永禄の末、当国へ帰入し本城に還住しける。余勢もなく、倉吉の辺りに僅かなる館舎を経営し、

 羽衣石の南条元続の旗下となりて有りけるが(略)」

 

1992年(平成4年)に行われた倉吉市教育委員会による発掘調査は大岳院の敷地内のみであるが、

居館に関する遺構の範囲に関しては周辺の住宅地にも及ぶと推定されている。

【 遠 景 】

山門

本堂

【 概 要 】

名 称山名氏豊館(やまなうじとよやかた/やまなうじとよだて)

別 名一夜屋敷(いちややしき)、一夜屋敷八幡(いちややしきはちまん)

所在地:鳥取県倉吉市東町

築城年:1393年(明徳4年)頃?…山名氏の守護所が所在したと推定される

    1400年前半(15世紀前半)頃…当時の富裕層の屋敷があったと推定される

    1573年~1580年(天正年間)…山名氏豊の居館があったと推定される

廃城年:1580年(天正8年)8月頃…山名氏豊の戦死後、兵火に遭ったと記述が見える

築城主山名氏山名氏豊

城 主:伯耆山名氏…山名氏

    南条氏…山名氏豊

文 献:伯耆民諺記、伯耆民談記、因伯叢書 第二冊(昭和47年2月 佐伯 元吉)

    新編倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月 新編倉吉市史編集委員会)、

    倉吉市誌(昭和31年10月 倉吉市誌編さん委員会)、

    倉吉市史(昭和48年11月 倉吉市史編纂委員会)

形 態:居館(平城)

遺 構:郭跡、土塁、堀、切岸※但し、遺構は全て消滅、堀は北側の玉川が名残とも

現 状:萬祥山大岳院

種 類:史跡指定なし

【縄張り】

山名氏豊館略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

明徳4年頃?

1393年頃?

山名氏之が伯耆守護職を引き継いだとあり、

この頃に守護所が置かれた可能性が考えられる。

15世紀前半頃

1400年前半頃

発掘調査から当時の富裕層の屋敷があったと

推測されている。

永禄5年頃

1562年頃

毛利氏に属した山名氏豊が伯耆へ帰国したとされる。

天正年間

1573年

1580年

南条氏に属した山名氏豊が居館を構えたとされる。

居る事一夜にして出陣したことから一夜屋敷とも

云われる。(伯耆民諺記・伯耆民談記)

天正8年

1580年

8月12日、山名氏豊が旧臣と600騎を率いて出陣、

8月13日、山名氏豊は吉川勢との戦闘に敗走、

8月15日頃、山名氏豊は鳴滝村付近にて殺害とある。

山名氏豊の戦死後、居館は兵火に遭ったと記述が見える。

(伯耆民諺記・伯耆民談記)

【 写 真 】

鐘楼門

里見家墓所

本堂の位置が居館跡とされる

猪の目

大江磐代の母「お林の方」の墓

境内には8体居ます

【同好会活動日誌】

伯耆民諺記・伯耆民談記に天正の頃、大岳院(大嶽院)が山名氏豊の居館と

記述されているので、現在の大岳院本堂の場所が山名氏豊の居館が所在したと

推定されているわ。

大岳院境内以外の周辺住宅地も居館の範囲に入ると考えられていて、

発掘調査を行えば新たな遺構が発見できる可能性もあるみたいよ。

ただ、宅地を掘り返すことは現状では不可能なので…新発見は難しいかな。

山名氏豊の居館と云われる他、山名氏豊の娘、駒姫にまつわる伝承(お林の母)、

「南総里見八犬伝」のモデルになったと云われる里見家墓所、

大江磐代の母「お林の方」の墓など、歴史的な見所もたくさん。

特に境内に8匹居るという子犬の像は見てて癒されるね。

大岳院の近くには白壁土蔵群という観光地もあるので、山名氏豊の館を

訪れたついでに観光(その逆でも良いけど)もお薦め。

すぐ近くには打吹城もあるので、天気の良い日はお城めぐりもできるよ!