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HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ > 小町陣場 > 同好会活動日誌

◆小町陣場

 

【 概 略 】

別名に陣場山(じんばやま)。

所在地の字名に「陣場(じんば)」、「越城野(こしきの)」、「越城野原(こしきのはら)」が見える。

 

陣場に関する伝承は不詳だが、「伯陽闘戦記」、「伯耆合戦記」、「陰徳戦記」などには永禄年間(1558年~1570年)頃、

伯耆国峰松山城(手間要害)の城主、浅野越中守実光と伯耆国鎌倉山城の城主、戸田安房守森重の戦について記されており、

この戦に関わった将兵の墓ではないかと云われている。

現在も五輪塔が多数現存し北側を小陣場(こじんば)、南側を大陣場(おおじんば)と呼称する。

小陣場には20基ほど、大陣場には70基ほどの五輪塔が祀られている。

耕作の際に陶磁器の破片も出土したそうで、陣を敷く際に詰所のような機能を持った小屋などが存在したことも推測できる。

 

伯耆志には小町村の条、陣場の項に以下の記述が見える。

「村より二丁許西の山上にあり。五輪塔多し。伝説詳ならず」

 

地元の話では毎年盆と彼岸には香花を供え、時には法要を行うそうだが集落には寺が存在しないため、

南部町御内谷の金龍山雲光寺に拝んでもらうとの事である。

金龍山雲光寺には後述する「小野小町」の位牌が祀られている。

 

岸本町誌には地元の伝承として以下の記述が紹介されている。(現地でも同様の話を伺った)

「灯籠に灯をともすと「化(ばけ)」がでる。刃の鍔ぜり合いの音がする」

 

この伝承に因んで集落では墓に灯りを明かさないと云われている。

 

 

当地には平安時代の歌人「小野小町」の墓と伝わる五輪塔が存在する。

墓の他にも小野小町の伝説として居住したと云われる堂屋敷跡や化粧井戸と伝わる場所も。

 

伯耆志にも小町村の条、古墳の項に小野小町の墓について記述が見える。

「村より二丁許西北の山腹に在り。小野小町の墓と云伝えて高八尺、幡二尺許の自然石に小野小町と刻す。古松三幹あり。

 又、村の西南池中に小町の化粧井戸といへる処あり。(略)小町、小野の村名に因て僞作(ぎさく)せるものなり。小町はコマヂと云った」

 

伯耆志では村名に因んで名付けたものであり、歌人「小野小町」に縁があるとは偽りであろうと記している。

小野小町の伝説は全国各地にあり、伯耆町に伝わる小野小町の伝承も各地に散らばる伝説の一つとされる。

【 遠 景 】

東側(日野川)からの遠望

集落南西に登城口

陣場の様子(手前:小陣場 奥:大陣場)

【 縄張図 】

存在せず

【 概 要 】

名 称小町陣場(こまちじんば/こまぢじんば)

別 名:陣場山(じんばやま)

所在地:鳥取県西伯郡伯耆町小町字陣場

築城年:不明

廃城年:不明

築城主:不明

城 主:不明

文 献:伯耆志、伯陽闘戦記、伯耆合戦記、陰徳戦記、

    岸本町誌(昭和58年3月 岸本町誌編さん委員会)

形 態:陣(丘城)

遺 構:郭跡、五輪塔

現 状:墓地、原野、山林

種 類:史跡指定なし

登城難易度⇒★(易しい)

【 地 図 】 西伯郡内の城跡

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

永禄年間

1558年~1570年

伝承に伯耆国峰松山城(手間要害)の城主、浅野越中守実光と伯耆国鎌倉山城の城主、戸田安房守森重との戦の際、

その戦いに関与した将兵の墓と伝わることから、この戦で陣容を整えたと推測される。

(伯陽闘戦記、伯耆合戦記、陰徳戦記)

※この合戦や登場する武将は後世の創作とされるがモデルになった武将や戦が存在したことは考えられる。

【 写 真 】(訪問日:2016/04/10) 

伯耆志に見える古松?と祠

陣場の様子(南側)

陣場の様子(北側)

陣場の様子

大陣場の様子

大陣場

小陣場

小町神社

小町神社

小野小町の墓(字稲場)

伝・小野小町の五輪塔

伝・小野小町の五輪塔

【同好会活動日誌】

陣場についての伝承は不明な点が多いけど、はっきりしているのは集落のお墓に灯りをつけない言い伝えかな。

岸本町誌の編纂に関わられた方の家に伺って話を聞いたので、町誌の内容の確認もできたわ。

 

五輪塔に関して誰を祀ったのかは判らなかったけど、伯陽闘戦記などに出てくる浅野越中守実光戸田安房守森重の戦に

関わった将兵の墓という云い伝えもあるみたい。

伯陽闘戦記って、確か伯耆合戦記&陰徳戦記とあわせてあまり史実的な価値は無いと無下に扱われる本だよね…

今回の話も空想の話なんじゃ…

問題はそこなのよね。

浅野越中守実光戸田安房守森重の話も全くの空想ではなく何かをベースにしていると思うけど、

何処までを史実として拡大解釈していいのか迷うところで…。

 

でも、字名に「陣場」「越城野」「越城野原」が検出されることから、

かつて周辺には城があって、その城に対しての陣場と考えると何らかの軍備を整えたりしていたことは推測できそうよ。

歴史に関してあまりはっきりしたことが言い切れない遺構だけど、墓地に迷惑をかける行為さえしなければ自由に見てもいいと

地元の方から寛容なお言葉も頂いているので、現地に立って何処に城があったとか探してみるのも面白いかもね。

近くには「小野小町」の墓と云われる場所もあるので、陣場を見た後はぜひ立ち寄って見てくださいね。

一応、駐車場(一台分)もあって車でも行けるけど、小町集落からだと少しだけ判りにくいかもだけど…。

(小町集落から直線距離なら陣場までとほぼ同じだけど迂回する都合、字名も稲場に変わり倍以上時間がかかります)

 

ちなみに伯耆志に書かれていた当時の「古松三幹」は残念ながら火災に遭って焼けてしまったみたい…

登城道付近に祠と幹の残骸らしきものが見えたけど…

あと、堂屋敷跡と化粧井戸は今回見つけられなかったわ…

小野小町の墓と云われるのは岩に名前が刻んである方だよね?

入り口の五輪塔は集落北側の山から持ってきた五輪さんらしくて小野小町とは全然関係ないみたいだよ…。

 

歌人の小野小町じゃないとする説が圧倒的に多いけど、そうなると小野集落で一番の美人さんのお墓…

で、「小野小町」の墓ってことなら良いのかな?