トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ >小鷹城> 同好会活動日誌

◆小鷹城【訪問日:2013/08/18】 登城難易度⇒★★☆☆☆(普通)

【 概 略 】

吉川広家が湊山に伯耆国米子城を築くにあたって当城の天守建物を湊山まで移築したという伝説が

残るほど吉川氏から重要視された城郭。

南西の小應城、北東の柏尾砦までの範囲の城域を併せて「小鷹城」とした可能性も推測でき、

上記の仮説から現在「小鷹城」とされている縄張りが「丸山城」或いは「丸山固屋」とも考えられる。

 

1564年(永禄7年)4月、毛利氏に与した片山小四郎、或いは片山平左衛門によって尼子氏の籠もる

天万固屋(高固屋とも)が陥とされると、続いて丸山固屋(当城)を攻め陥としたと記述が残る。

 

吉川広家が米子(湊山)への新城建造を計画した際、東から攻めてくるであろう織田軍への備えとして

伯耆国米子城が落城した際は当城(柏尾砦)を代替の政庁とし、更に侵攻を止められない場合は

当城に殿軍を置き時間を稼ぎ、吉川広家が新山要害への隠し道を通って速やかに出雲国の本拠、

出雲国月山富田城まで退けるよう考え尽くされた設計がなされていたと伝わる。

 

現在の「小鷹城」だけの縄張りを見る限りではそこまでの城郭とは到底思えないが、南西の小應城

北東の柏尾砦、伯耆国村尾城を併せると数千の兵員を配置・訓練できる郭跡に自給自足が可能な田畑、

伯耆国米子城、出雲国月山富田城へ最短距離の隠し道が存在していたなどから重要拠点のひとつとして

扱われていたことは十分に考えられる。

米子城の隠し城という性質上、公にできなかったためとも云われるが、数々の言い伝えは残るものの

資料にはほとんど名前が出てこない。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)には所在地として柏尾砦の場所が示されているため、

この点は注意が必要。

縄張り図は概ね正しいが、当城へ登城するためには全方位のいずれも個人所有の土地を通らなければ

ならないため、登城の際は地元の方に許可を頂いてから訪れるようお願いします。

【 遠 景 】

南西からの遠景

城跡には古城跡を示す標識が設置

【 概 要 】

名 称小鷹城(こたかじょう)

別 名:柏尾城(かしおじょう)、丸山城(まるやまじょう)、丸山固屋(まるやまこや)

所在地:鳥取県西伯郡南部町福成

築城年:不明

築城主:不明

城 主:毛利氏…山田重直

    吉川氏…山田盛直

文 献:戦国動乱期の伯耆、会見町誌、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

形 態:丘城

遺 構:郭跡、堀、堀切(竪堀?)、井戸跡?

現 状:秋葉神社分社、山林

種 類:史跡指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

永禄7年

1564年

尼子氏の支配する城であったが、新山要害山城安田要害山城)など

近隣諸城が毛利氏に攻略されると当城も属城になったと伝えられる。

丸山城あるいは丸山固屋の出来事として記述される)

天正13年

1585年

1月、豊臣氏と毛利氏の間で京芸和睦が確定したことにより、

伯耆国堤城の城主、山田重直らは旧領を追われ当城の城主となった。

天正20年

1592年

3月14日、城主の山田重直が没する。

山田家の家督は庶子で次男、山田盛直が引き継いだ。

慶長6年

1601年

関ヶ原の戦いで西軍として戦った吉川広家が岩国へ転封となると

山田盛直ら山田家も付き従い、吉川家の家臣として共に岩国へ移った。

【 写 真 】

目印となる池

時期によっては干上がってしまう

昔はヒシの実などが採れたと云われる

東側には登城道が整備

登城道を進むと標識

西側の堀切(竪堀にしか見えない…)

主郭から堀切

主郭は神社境内となり秋葉神社分社の祠が鎮座

境内の様子

境内の灯篭

井戸跡か窯跡と思われる窪み

主郭北側の腰郭

主郭北側腰郭の先には帯郭群も確認できる

―同好会活動日誌―

伝承や言い伝えでは吉川氏の時代に重要視されたお城のひとつと伝わるけど、

古文書などには名称はほとんど出てこないみたいなのよ。

それらしい記載があっても「丸山固屋」とか別名で書かれていたりして。

ま、まあ「米子城の隠し城」なんて扱いなワケで…

さすがに声を大にしては言えなかったんじゃない?

「小鷹城」だけで見てみたら居館程度の小規模城郭としか思えないけど、

南西の小應城、北東の柏尾砦の範囲を併せるとかなりの城域の規模になるので、

伝承に伝わるような米子城の代替政庁に成り得たかもしれない…

という可能性も少しは考えられそうね。

「小鷹城」については実際のところ謎が多いよね。

言い伝えが示す部分としては「小鷹城」の事と言うより「柏尾砦」の方を

指している感じが強いので、詳細については柏尾砦の方も参考にしてね。

いろいろ重複しているかもしれないけど…見づらくてゴメン。

あとは余談で主郭に鎮座している祠。

これは東京の秋葉神社の分社と云われていて、城跡は神社の境内になっているわ。

秋葉神社は火防鎮護で有名な神社で全国各地に多くの分社があるそうよ。

 

神社では時期になると祭事などの行事も行われているそうで、

神社の管理とセットで城跡の整備もしっかりとされているみたいね。

秋葉神社はフランチャイズのコンビニみたいに全国各地にあるって話だよね。。。