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HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ > 丸山代官所 > 同好会活動日誌

◆丸山代官所【訪問日:2014/04/05】 登城難易度⇒☆☆☆☆☆(楽)

【 概 略 】

江戸時代、3郡17ヶ村三千石の大山寺領を治めた本坊西楽院は積雪によって大山寺方面への交通が

困難となる冬期、避雪地として丸山村に代官所を置き役僧を派遣し大山寺領の政務を執らせたと伝わる。

 

「大山御役所略図」には24.3間、南北に17.3間の堀で囲まれていたと推測されており、

米蔵、年貢受取所、牢屋などの建物があったと伝わる。

 

役僧の住宅として里坊屋敷があり、現在石碑が建てられている場所から東へ300~400m程の場所に

所在したと伝わる。

大山寺の冬場の厳しい寒さは病気になった場合の療養が出来難い事もあり、療養施設を兼ねていたとも

云われる。

 

代官所を囲った堀の外(西側)には大山侍(木村、安田、奥田、遠藤、小谷、羽田)の住居である

六軒長屋が付属していたとも伝わる。

 

代官所は明治初め頃まで運用されたと云われるが、

1877年(明治10年)、本坊西楽院が取り壊しになると丸山代官所も合わせて取り壊されたと云われる。

 

役所の跡地かは判断出来ないが、削平された郭跡らしき空間の端には土塁のような土盛が見られる。

また、明治時代(代官所の取り壊し前後)にはこの場所に芝居小屋があったとも伝わる。

【 遠 景 】

正面の空き地など郭跡の端には土塁も見られる

現在は「代官所跡」と彫られた石碑のみが残る

【 概 要 】

名 称丸山代官所(まるやまだいかんしょ)

別 名:丸山御役所(まるやまおやくしょ)、代官屋敷(だいかんやしき)

    里坊屋敷(さとぼうやしき)

所在地:鳥取県西伯郡伯耆町丸山字堂ノ前

築城年:1660年(万治3年)

廃城年:1877年(明治10年)頃

築城主:本坊西楽院

城 主:本坊西楽院

文 献:日野郡誌、、大山諸事覚書(参考)

    ふるさと丸山(丸山集落活性化推進委員会著:平成19年3月30日発行)

形 態:居館跡(代官所跡)

遺 構:石碑、郭跡?、土塁?

現 状:住宅地、畑地、荒地

種 類:文化財指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

慶長15年

1610年

丸山村が大山寺領に組み込まれる。

万治3年

1660年

丸山村に大山寺の代官所・里坊屋敷が置かれる。

明治10年

1877年

本坊西楽院の取り壊しと併せて丸山代官所も取り壊されたとされる。

【 写 真 】

石碑へと続く道

案内板の付近は荒地や廃屋

石碑横の廃屋は倒壊の危険有り

石碑に近付く際は頭上に注意!

「代官所跡」の石碑と案内板

代官所跡へは目印となる案内板が設置

案内板があるのでわかり易い

【同好会活動日誌】

現在は「代官所跡」の石碑のみが残る大山寺本坊西楽院の代官所跡よ。

本坊西楽院は冬期、大雪に埋もれてしまって交通が困難になるため避雪地

として丸山に代官所を置き、冬場だけこの代官所で大山寺領の政務が

行われたみたいね。

代官所や屋敷があったかもしれない空間の端には土塁らしい物もあったけど、

特に名残が残っているわけでもなかったよね。

石碑よりも今にも崩れそうな隣の廃屋の存在感の方が半端なかったし。

屋根の瓦もいっぱい落ちてて危なそうだったよ。。。

石碑の写真を撮る時は頭上に気をつけたいわね。

というか近い将来、石碑の方に廃屋が倒壊しそうな感じなんだけど…さ。

石碑と案内板以外に見るべき場所がない場所だね。。。

歴史背景に関しても現在調査中なのです~。