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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~西伯郡大山町篇~ > 旧西伯郡名和町 > 道垣豪族居館

◆ 道垣豪族居館

【 概 略 】

現在は金華山正福寺が所在。

2006年(平成18年)頃、墓地の整地前に大山町教育委員会による道垣遺跡の発掘調査が行われている。

 

地層の年代測定から居館は12~13世紀頃に建造され、16世紀頃までに2回前後の拡張が行われたことが判明し、大山町内では平地で発見された居館跡は当居館が始めてとされる。

 

2008年(平成20年)には住職の庫裏(住居)建設のための発掘調査が行われ、中世以降の石垣が出土している。

石垣の規模は大きく、寺社の本堂など大きな建物の存在が推測される。

 

発掘調査より城域の推定される範囲は1町(約100m)四方の方形居館跡。

居館周囲に土塁を配し、土塁の外側には堀を巡らせることで防御力を高めていたと推定されている。

土塁の内側にも堀があったようで、内堀と外堀を持った居館の可能性も考えられている。

 

12~13世紀頃であれば名和長年の一族、或いは近しい有力豪族(荒松氏など)の居館、16世紀頃であれば伯耆国富長城の城主、福頼左右衛門尉の一族など国人衆の居館とも考えられる。

 

居館に関する文書への記述は現時点で一切見つけることができず、発掘による物的証拠からのみ居館(城郭)の所在を推測しているが、汗入史綱では周辺を羽田千軒と呼ぶ時代があったとし、城下町が所在した可能性が伺える。

 

地理的には大山寺との関係が考えられるが、羽田千軒の名前の由来が大山寺侍、羽田氏に因むものであれば大山寺と当地の関係が判る可能性も。

【 遠 景 】

土塁上の祠(南東隅)

北側の郭跡(墓地)

【 見どころ 】

樹木葬のお寺 正福寺

土塁に外堀と内堀を有した防衛力に特化した居館と推測されます。平地に立地するため、防御力の向上を考えた普請が考えられます。

古くは藤原氏の頃からの所在が考えられ、戦では不利な立地となることから政庁としての機能を有したのかもしれません。

※境内は樹木葬のため一般の墓石が並ぶお墓とは違い墓地との境界が判り難いです。見学は正福寺さんの許可を得た上でお願いします。

【 概 要 】

名 称道垣豪族居館(みちがきごうぞくきょかん)

別 名:道垣城(みちがきじょう)

所在地:鳥取県西伯郡大山町茶畑

築城年:12~13世紀頃(平安時代頃~鎌倉時代頃)、16世紀頃(戦国時代)

廃城年:不明

築城主:(不明)藤原氏が推測される

城 主:(不明)藤原氏名和氏、荒松氏福頼氏などが推測される

形 態:居館跡

遺 構:郭跡(方形)、土塁、切岸、堀

現 状金華山正福寺、墓地、水路

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・大山町 文化財ガイドマップ(大山町教育委員会)

・汗入史網(昭和12年9月:国史研究部 本田皎)

【城娘】

【 縄張図 】

不明

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

平安時代頃

鎌倉時代頃

12世紀頃

13世紀頃

戦国時代

16世紀頃

伯耆国富長城の城主、福頼左右衛門尉に関係する国人衆の居館と推定される。

【 写 真 】(訪問日:2014/05/17)

正面入口付近の東側土塁

南側の土塁

南東の土塁(内堀跡)

南側の土塁

南西端の土塁

南側の土塁(上部)

南側の外堀跡

南側の外堀跡

西側の土塁

南西端土塁上から西側の土塁

西側土塁の虎口

虎口付近には礎石の残骸

西側の堀跡(改変済)

西側の堀跡(改変済)

西側の堀跡(改変済)

北側の郭跡(墓地)

北側の郭跡(墓地)