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HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ > 長野城 > 同好会活動日誌

◆長野城【訪問日:2013/07/18】 登城難易度⇒★★☆☆☆(普)

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に記された場所から東に1Km(直線距離)程の

丘陵先端部に所在する。

南側の登城口。

東側の郭跡横には北の海岸まで続く道もあるが現在は途中までしか手が入っていないようで、

海岸までたどり着くには容易でない状態となっている。

郭跡南端の土橋と、隣に見える堀状の遺構。

郭跡の南側半分は土地を所有される方が整備をされているようで容易に確認ができた。

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に記された縄張り図の方は概ね正しいが、

単郭とされる郭跡の中にも南西側に一段高い方形の郭跡(恐らく見張り櫓を配した郭跡)など、

縄張り図では判らない遺構も確認できた。

北側半分の郭跡は整備されておらず、切り倒した竹で南北を分けるような処置がされていた。

北側、南側で土地を所有されている方が違うようで今回は北側への立ち入りは見送ることに。

立ち入りの許可を頂けるようであれば…またの機会に鉈を片手に訪れたいです(笑。

郭跡には井戸跡のような窪みが幾つか見られたが井戸跡かどうかは不明。

郭跡は東、西、南(北は未調査)を土塁で囲まれている。

周囲は切岸となっているため、切岸を築く際に出た土を盛り土塁にしたと推測できる。

南側から西側へ続く道路沿いは切岸になっており、石垣や礎石の残骸を確認できる。

郭跡を西側に進むと海岸線にしばらく土塁が伸びており、縄張り図では単郭とされるが

他にも郭跡など遺構があったのでは?と思える地形を確認することができる。

北側の海岸は断崖絶壁となっており海側からの進入はほぼ不可能。富長城と同じ海城である。

(おまけ1)城跡周辺には塚のような土盛が数基残っている。見張り小屋跡?

(おまけ2)近くに木ノ根神社が鎮座。祀ってある老木の形が…男性のお参り客が多いようです(笑。

―概 要―

名 称:長野城(ながのじょう)

築城年:1274年(文永11年)以降 ※蒙古襲来以降の築城?

所在地:鳥取県西伯郡大山町豊成

築城主:不明

城 主:不明

形 態:丘城・海城

遺 構:郭跡、切岸、土塁、井戸跡?

現 状:山林、畑地、原野

種 類:史跡指定なし

地 図:

―年表―

年号 西暦 出来事

文永年間

弘安年間

不明

1274年(文永11年)の文永の役、1281年(弘安4年)の弘安の役

二度にわたる蒙古襲来の脅威から、元寇に対する海岸線の防衛拠点

として伯耆国小波城の支城として築城された一城とする説がある。

―同好会活動日誌―

見応えある海城だけど詳細不明なお城【2013/10/06更新】