トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ > 高平城 > 同好会活動日誌

◆高平城【訪問日:2014/04/26】 登城難易度⇒★★☆☆☆(普通)

【 概 略 】

高平山の畝に所在した別所小三郎の居城と伝わる。

1578年(天正6年)3月、播磨国三木城に拠って毛利氏に与し、

1580年(天正8年)正月、羽柴秀吉の兵糧攻め「三木の干殺し」によって滅んだ人物とされ、

小三郎を名乗った別所氏は複数存在するが、ここで記される別所小三郎別所長治の事と推測される。

 

別所長治が当城に居城した確かな記述は見えないが、播磨国三木城に拠った別所氏一族の支城の一つで

伯耆国岸本要害と同様に伯耆国尾高城の支城であったとも考えられる。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)では「唯一伝承により城跡と推定している」とあり、

伝承による伝説の域を出ない部分もある。

遺構の残存状態も悪いと記述にあり「主郭以外の郭は確認できない」とあるが、

主郭の東西にはそれぞれ一段ずつの郭跡と思われる平坦面と土塁のような土盛が見える。

 

主郭の所在した高平山の山頂には「六十落とし」「天狗の羽休めの松」という2つの伝説があり、

「六十落とし」の民話では”姥捨て山”、「天狗の羽休めの松」の伝説では神聖な山とされ、

まったく正反対の性質で描かれている。

【 遠 景 】

正面の給水タンクの上の山が主郭

南東側の墓地

【 概 要 】

名 称高平城(たかひらじょう)

所在地:鳥取県西伯郡伯耆町清原

築城年:不明

築城主別所氏

城 主別所小三郎別所長治?)

文 献:岸本町誌、日野郡史、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

形 態:山城

遺 構:郭跡、土塁、井戸跡、竪堀?、虎口?

現 状:山林、墓地

種 類:史跡指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

天正年間

不明

播磨国三木城に拠った別所小三郎の居城と伝わる。

天正8年

1580年

1月17日、羽柴秀吉の兵糧攻め「三木の干殺し」によって

播磨国三木城の落城後、別所氏一族や家臣など生き残った者達が

この地に落ち延びてきたと云われる。

明治中期

不明

「六十落とし」の昔話では、この頃まで高平山の山頂付近には

井戸跡のような穴があり、石蓋で覆いがされていたと云われる。

周囲は老松で鬱蒼とし、往時を偲ばせるとも伝わる。

【 写 真 】

目印となる給水タンク

北東には麓から西二ノ郭へ続く登城道が…

地元の方が車で登れるようにと道を開拓中

西の竪堀状の溝と散在する礎石

ピンクのリボンは地籍調査のしるし

竪堀状の溝の横は土塁?

竪堀付近の井戸跡らしき穴

西二ノ郭への登城道が続く

西二ノ郭の様子

西二ノ郭は主郭の腰郭と思われる

西二ノ郭の土塁(北方向)

西二ノ郭の井戸跡らしき穴

主郭の様子

主郭は方形で一段高い

主郭東側には虎口のような遺構

主郭に横たわる巨石

主郭から東二ノ郭への道と礎石片

東二ノ郭は西二ノ郭に比べると

人の手があまり加わっていない印象

東二ノ郭の様子

東二ノ郭の土塁

東二ノ郭の土塁と竪堀状の溝

【同好会活動日誌】

この高平城は伝承にのみ出てくる城跡で、真偽はさておき別所小三郎

居城したとも伝わるお城ね。

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)でも「伝承により推定される」

と記されているように、断定するには資料が乏しいみたい。

近くに岸本要害もあるし、地名に口別所、川の名前も別所川など別所氏の影響力を

物語るには十分だから、仮に別所小三郎本人が高平のお城を居城としていなくても

一族が支城として使っていた可能性は高いよね。

残念ながら、お城や武将が何をしたかの伝承は残っていないようだけど、

城が所在したと云われる「高平山」には2つの伝説があるそうよ。

伝説のお城に相応しい伝説が残ってるといいな~。

ひとつは「六十落とし」。

いわゆる口減らしのための”姥捨て山”伝説なんだけど、実際に高平の山では

姥捨てといわれる行為は行われなかったみたい。

 

元々は貢租(年貢と労役)の重税に耐えられず、村が口減らしの名目で

齢60を越えた老齢者を山奥や座敷牢に匿い租税を逃れようとした言い訳に

作られた話のようで、この話が発展して…

 

ある村の若者(孝行息子とも)が口減らしのため高平山に隔離された老人達へ

こっそりと飯を運んでいた。

村で難問が持ち上がり困り果てたとき、高平山の老人達へと相談し知恵を授かると

村の困難事を解決し若者は評判を得た。

 

という昔話になったみたい。

現在では悪政を嘆き、孝行の訓えとして生まれた話、という解釈みたいね。

意味合いは受け手と時代によって変わるからね。

今のところは孝行息子の美談、って感じだね。

続いて「天狗の羽休めの松」の伝説。

こちらは大昔、高松山の山頂には大松がそびえていたそうで、

時々天狗が飛んできてはその松を羽休めに使っていたとする伝説で、

高平山を神聖な山としていたそうよ。

ちなみに現在、その大松はないみたいね。。。

鳥取県内は天狗伝説多いよね。。。

大松はなかったけど、主郭には大きな大木が二本あったよね。

「六十落とし」と「天狗の羽休めの松」の伝説。

双方で全く高平山の扱いが異なるのが面白い話だと思わないかな?

あ、そういえば今回は麓で道を作っている地元の方に出会ったけど、

どこまで開拓されるんだろう…主郭までは行かないよね…?