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HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ > 外構城 > 同好会活動日誌

◆外構城【訪問日:2014/02/01】 登城難易度⇒★★★☆☆(難しい)

【 概 略 】

城郭についての歴史は不明。古城が所在したことのみ記される。

北西約200メートルに伯耆国法勝寺城が所在し、当城はその出城であると考えられる。

東には法勝寺往来を一望することが可能で、街道の監視を担ったとも推測される。

 

連郭式の山城で山頂の主郭を中心に、北東、西、南東、南西と手裏剣状に郭跡が展開しており、

北東の連郭のみ郭跡→堀切→郭跡→堀切と防御面を重視した構造となっている。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に縄張り図は掲載されていない。

【 遠 景 】

南側からの遠景

主郭の様子

【 概 要 】

名 称外構城(とがまえじょう)

所在地:鳥取県西伯郡南部町鴨部

築城年:不明(法勝寺城と同時期?)

築城主:不明

城 主:不明

文 献:伯耆誌、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

形 態:山城

遺 構:郭跡、腰郭、堀切、土塁、土橋、井戸跡

現 状:山林

種 類:文化財指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

不明

不明

伯耆国法勝寺城の出城であったと伝わる。

【 写 真 】

西側の登城口が主郭に一番近い

北側にも登城口がある

主郭には一段高い郭跡がある

主郭の様子

主郭の様子

主郭付近の土塁

主郭東側の腰郭

主郭東側の腰郭から北東の連郭へ

北東から北へ向かう連郭は郭跡と堀切が続く

北へと続く郭跡と堀切

北へと続く郭跡と堀切

北へと続く郭跡と堀切

北へと続く郭跡と堀切

連郭の道中には土塁を持つ郭跡も

北東から北への連郭道中の郭跡

北側の郭跡

北側の郭跡

北側の郭跡

北側の土橋状の郭跡

最北端の郭跡には辻堂

最北端の郭跡付近の井戸跡?

隣に廃屋が所在するため後世の造作物かも

主郭には井戸跡らしき痕跡もあったが

猪の巣が多く井戸跡との断定は難しい

南東の郭跡には五輪塔

道中にあった五輪塔の残骸

法勝寺城からの遠景

【同好会活動日誌】

図書館にあった”それらしい”本には目を通したけど、

全く詳細が掴めない城だったね。。。

恐らく法勝寺城の支城であることには間違いは無いと思うけど、

肝心の法勝寺城についての歴史も意外と不明瞭だったりするので…

引き続き資料の読み込みが必要な城跡かもね。

以前に調査した淀江町の富繁城も別名が「外構城」だったけど、

何か関係あるの?

その話も地元に長く住まれている方からお話を伺う事ができたけど、

残念ながらこちらの外構集落が淀江の富繁(外構)集落と関係があった、

という話を聞かれたことは無いそうよ。

あくまで法勝寺城の出城としての「外構」ということかしらね。

 

ちなみに余談だけど、淀江の富繁城が「外構城」と呼ばれていた所以。

富繁村の旧名が外構村だったのは富繁城の所で紹介したけど、

どうやら淀江の福頼氏の本拠地、福頼城を防衛するための要衝だったから

「外構」と呼ばれていた、という説に出会えたわ。

 

福頼城の位置は今のところ不明らしいけど、何とか探し当ててみたいわね。

と、とりあえず、鴨部の外構城については現時点で有力な情報を

収集することができませんでした。。。何だかすみません。