トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 伯耆古城図録 ~境港市篇~ > 佐斐神城 > 同好会活動日誌

◆佐斐神城【訪問日:2013/11/06】 登城難易度⇒☆(楽)※米子空港施設内(滑走路)

集落から西北の松林に道祖神を祀った祠が鎮座していたことから佐斐神村と名付けられたと伝わる。

伯耆誌 佐斐神村の条には以下の記述が見え、村名の由来が記されている。

「村の西北松林中に道祖神(サイノカミ)の祠あり。村名これに起こる。

 ”サへ”を”サヒ”に訛れるなり。延享の頃、和田村井田氏及び一族両家の開発する処と云へり」

 

当城は尼子氏が島根半島に領した出雲国鈴掛山城の支城の一つとされ、伯耆側の弓ヶ浜半島には

当城、伯耆国高岡城、伯耆国先白手城の三城が所在したと云われる。

城についての詳細は仔細不明であるが廃城後に和田村の井田氏によって城跡(旧字・城ノ内)に祠が

建立されたと伝わる。

村内には城に関係すると考えられる旧字に「中堀(なかぼり)」「八代堀(やだいぼり/やしろぼり)」

「城ノ内(じょうのうち/しろのうち)」が見える。

 

当地を開発した和田村の井田氏に関しては諏訪神社の社伝に記述が見える。

和田村の井田氏は井田久左衛門とされ、武田信玄の家臣、井田藤右衛門の一族で井田家6代目にあたり

天正年間の頃、佐斐神に祠を建て崇拝したと伝わる。

 

近世、米子空港は大東亞戦争、朝鮮戦争で軍事拠点として使用されていたため飛行場の図面は元より

周辺の地図や地形図なども軍事機密扱いで秘匿されていたと云われる。

飛行場造成前の地形図などが現存しているのかも不明でかつての佐斐神村を知る書物は見つけられない。

 

城郭の所在した場所も集めた資料だけでは特定できないが、祠の鎮座した場所は米子空港施設内、

或いは滑走路の何処かとされる。

(資料によっては滑走路延長前のJR山陰本線の線路以北にあったと略図にて記述も見える)

佐斐神村が存在した現在の佐斐神町は町域全てが米子空港(米子鬼太郎空港は愛称)となっている。

 

※この度の写真撮影及び掲載には米子空港(米子鬼太郎空港)さんより許可を得て行っています。

 航空自衛隊美保基地の関連施設(共用部以外)の撮影はNGとの事なので掲載していません。

【 遠 景 】

城跡の所在地を示す資料の存在は不明

佐斐神町には米子空港

米子空港ターミナルビル

【 概 要 】

名 称佐斐神城(さいのかみじょう)

別 名:才神城(さいのかみじょう)、佐斐ノ神城(さいのかみじょう/さいのかみじろ)

所在地:鳥取県境港市佐斐神町

築城年:不明

築城主:不明

城 主:尼子氏…不明

    毛利氏…不明

文 献:伯耆志、伯耆誌、諏訪神社由緒書(社伝)

    史実と系図 竹内町四百年史(竹内町薬師講保存会:西尾 栄 著)昭和54年7月

形 態:不明

遺 構:消滅(昭和57年頃の米子空港建設に伴うと云われている)

現 状米子空港(米子鬼太郎空港)、航空自衛隊美保基地、空港ビル、滑走路

種 類:史跡指定なし

【縄張り】

存在せず

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

不明

不明

築城年及び築城主は不明。

尼子方の出雲国鈴掛山城鈴垂城)の支城として伯耆国先白手城

伯耆国高岡城の3城を持って境海峡の兵站と守備を担った。

永禄6年

1563年

一度は毛利氏に帰順していた出雲国白鹿城であったが、

1562年(永禄6年)の11月5日、本城常光の謀殺をきっかけに

再び尼子氏へと帰順すると毛利元就によって攻められた。

2ヶ月に渡る戦の末、水源を絶たれた出雲国白鹿城は開城し落城。

尼子方の将、松田満久は自刃、子の松田誠保は隠岐へと逃亡した。

(出雲国白鹿城は落城と同時に廃城したとされる)


出雲国白鹿城落城の後、弓ヶ浜に在陣していた毛利方の部隊を

尼子方の兵が奇襲するも敗れたと云われる。

この時に毛利軍が在陣していた城の一つに当城があったと考えられる。

天正年間

1573年

1591年

武田信玄の家臣、井田藤右衛門の一族で井田家6代目、井田久左衛門

信州諏訪神社よりご分霊を勧請し佐斐神に祠を建て崇拝したと伝わる。

井田久左衛門がご分霊を納めて信州から背負って帰ったとされる

皮の行李が現在も諏訪神社に祀られている。

 

城跡についての詳細な記述は見られないが、井田氏によって廃城後に

城跡へ道祖神の祠が建立されていることから毛利氏によって尼子氏が

西伯耆から駆逐された頃には廃城されていたものと考えられる。

【 写 真 】

空港ビルからの眺め(東南側)

空港ビルからの眺め(北側)

空港ビルからの眺め(南側)

空港ビルからの眺め(北東側)

空港ビルからの眺め(南側)

空港ビルからの眺め(南西側)

―同好会活動日誌―

伯耆誌には村名の由来、諏訪神社の社殿には当地を拓いた井田氏の伝が見えるけど

城跡についての詳細はほとんど不明。正確な所在地すらわからないお城よ。

毛利氏と尼子氏が境水道の領有を争った頃のお城と見る向きが多いけど、

ひょっとすると伯耆山名氏と尼子清定が争った「境松の戦い」の頃には所在した

可能性も考えたいわね。

…既に全てが消滅してしまった上に記述もないから推測の域を一切出ないけどね。

辺り一面コンクリートだもんね。。。

現在では城どころか村があったのかすら信じられない状態だけど、

佐斐神村に城があったとする可能性は二つあって、まずは地元の古老の言い伝え。

と言っても、全ての住民が空港建設のため村から移住させられてしまったそうで、

佐斐神村出身で尚且つ歴史に精通した古老を見つけるのは私達には無理かもね。

 

そこで竹内町薬師講保存会が記された史実と系図 竹内町四百年史の出番。

この本にも当城について詳しくは書かれていないけど、著者の方の調査で

古老を尋ね、旧家の書物を調べたところ佐斐神に城があったらしい…

というのが確認できたみたいよ。

 

井田氏が祠を建てた場所も”城跡”だったと伝わってるし。

もう一つの可能性は?

地元に残る旧字。

調べてみると佐斐神村には「中堀」「八代堀」「城ノ内」という旧字が

あったそうで、「城ノ内」の字から城が所在した事が推測できるわ。

 

ただし場所によっては伯耆国先白手城がものすごく近くにあることになるので、

ひょっとすると伯耆国先白手城の出丸のような施設だったのかな…?

なるほど、旧字を調べるのも有効な手段なんだね。

ところで…境港市にあるのに、なんで「米子空港」なの?

割と地元の人でも知らないことみたいだけど「米子空港」は通称なの。

最近はさらに愛称として「米子鬼太郎空港」って呼ばれてる(呼ばせたい)けどね。

 

実際のところ、正式名称は「美保飛行場」なのよ。

航空自衛隊美保基地と滑走路を共用している点は珍しい空港の部類になるかもね。

 

なぜ「米子空港」と呼ぶかは諸説あるけど、一番近くの大きな都市は米子市で、

県外の方にも何処にあるか認知されやすいようにするためというのが通説みたい。

一応だけど施設の一部が辛うじて米子市に入ってるので、「米子空港」と

呼ぶのも厳密には間違いじゃ無いのよね(^^

…本当にほんの一部だけど。

 

「広島空港」は「三原市」、仙台空港は「名取市」と「岩沼市」に所在。

と言う具合に、必ずしも所在する地名=空港名とはならない事も多々あるみたい。

その点、お隣の出雲空港はちゃんと出雲市にあるわよね。

あそこも愛称が「出雲縁結び空港」にはなってるけど。。。

空港ビルから滑走路を見回してみると”それっぽい”手付かずの場所もありそう

だったけど、結局城跡の場所を特定するのは難しそうだね。

滑走路工事前の写真でも残っていてくれると判る可能性があるかもしれないけど、

多分出てこないでしょうね。

航空自衛隊美保基地がある都合、詳細を大々的にしていいものではないだろうし。

 

現在は地図で航空写真が見れる状態だけど、大東亞戦争敗戦後の飛行場は連合軍に

接収されてるから軍事施設の情報は機密になっていたと考えられるわね。

 

城跡があった場所が壊されたのは昭和57年頃の整備と云われるけど、

諏訪神社の大松が昭和17年には飛行障害になると中途から伐採、

大東亞戦争から後の昭和25年に起こった朝鮮戦争では米軍によって根元から

伐採されていることを考えると昭和57年頃まで遺構が残っていたとする説は

少々怪しいかもね。

昭和の始め頃、特に飛行場の建設時から徹底的に改変を受けていたと考えるのが

普通かもしれないわよ。

 

あ、仮に場所を特定できる資料が出てきたとしても、

航空自衛隊美保基地の管轄内に所在した場合はどうすることもできないわ。

下手に探検して間諜容疑で逮捕されたくないもん。