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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~境港市篇~ > 佐斐神城

◆ 佐斐神城

集落から西北の松林に道祖神を祀った祠が鎮座していたことから佐斐神村と名付けられたと伝わる。

 

伯耆誌 佐斐神村の条には以下の記述が見え、村名の由来が記されている。

「村の西北松林中に道祖神(サイノカミ)の祠あり。村名これに起こる。サへをサヒに訛れるなり。延享の頃、和田村井田氏及び一族両家の開発する処と云へり」

 

当城は尼子氏が島根半島に領した出雲国鈴掛山城の支城の一つとされ、伯耆側の弓ヶ浜半島には当城、伯耆国高岡城、伯耆国先白手城の三城が所在したと云われる。

城についての詳細は仔細不明であるが廃城後に和田村の井田氏によって城跡(旧字・城ノ内)に祠が建立されたと伝わる。

村内には城に関係すると考えられる旧字に「中堀(なかぼり)」「八代堀(やだいぼり/やしろぼり)」「城ノ内(じょうのうち/しろのうち)」が見える。

 

当地を開発した和田村の井田氏に関しては諏訪神社の社伝に記述が見える。

和田村の井田氏は井田久左衛門とされ、武田信玄の家臣、井田藤右衛門の一族で井田家6代目にあたり、天正年間の頃、佐斐神に祠を建て崇拝したと伝わる。

 

近世、米子空港は大東亞戦争、朝鮮戦争で軍事拠点として使用されていたため飛行場の図面は元より周辺の地図や地形図なども軍事機密扱いで秘匿されていたと云われる。

飛行場造成前の地形図などが現存しているのかも不明でかつての佐斐神村を知る書物は見つけられない。

 

城郭の所在した場所も集めた資料だけでは特定できないが、祠の鎮座した場所は米子空港施設内、或いは滑走路の何処かとされる。(資料によっては滑走路延長前のJR山陰本線の線路以北にあったと略図にて記述も見える)

 

佐斐神村が存在した現在の佐斐神町は町域全てが米子空港(米子鬼太郎空港は愛称)となっている。

 

※この度の写真撮影及び掲載には米子空港さんより許可を得て行っています。

 航空自衛隊美保基地の関連施設(共用部以外)の撮影はNGとの事なので掲載していません。

【 遠 景 】

城跡は米子空港の敷地内

空港ビル

空港ビルからの眺め(東南側)

空港ビルからの眺め(北側)

【 見どころ 】

米子空港の敷地内

城跡が所在したとされる旧字城の内ですが、現在は米子空港の敷地内となっています。

戦中、戦後は軍事機密のため地形等に関する資料は見当たりません。

城跡よりも旅行や飛行機を見て楽しむ場所です。

【 概 要 】

名 称佐斐神城(さいのかみじょう)

別 名:才神城(さいのかみじょう)、佐斐ノ神城(さいのかみじょう・さいのかみじろ)

所在地:鳥取県境港市佐斐神町

築城年:不明

廃城年:不明

築城主:不明

城 主:不明

形 態:不明

遺 構:消滅(昭和57年頃の米子空港建設に伴うと云われている)

現 状米子空港、航空自衛隊美保基地、空港ビル、滑走路

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・伯耆志・諏訪神社由緒書(社伝)

・史実と系図 竹内町四百年史(竹内町薬師講保存会)    

【城娘】

 

【 縄張図 】

不明

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

不明

不明

永禄6年

1563年

天正年間

1573年

1591年

武田信玄の家臣、井田藤右衛門の一族で井田家6代目、井田久左衛門が信州諏訪神社より分霊を勧請し佐斐神に祠を建て崇拝したと伝わる。

井田久左衛門が分霊を納めて信州から背負って帰ったとされる皮の行李が現在も諏訪神社に祀られている。

 

城跡についての詳細な記述は見られないが廃城後、井田氏によって城跡へ道祖神の祠が建立されていることから毛利氏によって尼子氏が西伯耆から駆逐された頃には廃城されていたものと考えられる。

【 写 真 】(訪問日:2013/11/06)

空港ビルからの眺め(南側)

空港ビルからの眺め(北東側)

空港ビルからの眺め(南西側)