トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 伯耆古城図録 ~東伯郡篇~ > 六尾城 > 同好会活動日誌

◆六尾城

 

【 概 略 】

戦国時代、石見国の城主であった六尾出羽守がこの地に居城を構えたとある。(大栄町誌)

 

現在は宅地化され、居城のあった丘も多くが切り崩されてしまっているが、六尾集落の城山と伝わる場所には「六尾出羽守之墓」と刻まれた碑があり、

碑の周辺に六尾出羽守の城館が所在したと云われている。

 

新修鳥取県神社誌の子守神社の条には以下の記述が見える。

「六尾城鎮護の為に勧請したと伝える。中古戦乱の際に城は陥落したが、六尾一族が此の地に住居して一村落をなし、六尾と称するようになったと言う」

 

子守神社は城郭鎮護の為に勧請されたことから、神社境内も城域であると考えられる。

境内は土塁によって囲まれているが、当時からの遺構なのかは不明。

 

1524年(大永4年)、大永の五月崩れによって当城は落城、六尾出羽守も討死と考えられる。

六尾出羽守の死後、その死を悼んだ村民達が家名をもって村名にしたことから「六尾村」とする説が伝えられている。

村名については六尾出羽守に因まない説もあり、周辺に六つの尾(柴尾、雉子尾、長尾、中尾、大塚尾、カワノ尾)が付く

小字があったことから名付けられたとも伝えられている。

 

また、周辺には城と関係する字として「城の前」などの地名が現在も残っている。

【 遠 景 】

中央が居城跡と云われる(左の森が子守神社)

六尾出羽守の墓とされる碑

城の前

【 概 要 】

名 称六尾城(むつおじょう)

所在地:鳥取県東伯郡北栄町六尾

築城年:不明

廃城年:不明 ※1524年(大永4年)、大永の五月崩れによって落城したと云われる。

築城主六尾出羽守

城 主六尾出羽守

文 献:大栄町誌(昭和55年3月発行:大栄町合併20周年記念出版 大栄町誌編さん委員会)、

    新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ(平成24年6月発行:鳥取県神社誌編纂委員会)、日本歴史地名大系第32巻 鳥取県の地名(1992年10月 平凡社)

形 態:丘城

遺 構:不明(子守神社に郭跡と土塁)

現 状:住宅地、子守神社

種 類:史跡指定なし

登城難易度⇒★★(易しい)

【縄張図】

存在せず

【 地 図 】 東伯郡内の城跡

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

戦国時代

不明

石見国の城主であった六尾出羽守がこの地に居城を構えたとある。(大栄町誌)

大永4年

1524年

大永の五月崩れによって落城したと云われる。

六尾村の村名由来から六尾出羽守も討死と推測される。

【 写 真 】(訪問日:2015/05/17)

この辺りに六尾氏の居城が所在したと云われる

外構の端に宝筐印塔

子守神社と鳥居

子守神社

子守神社境内

子守神社の土塁(外側から)

子守神社の土塁(内側から)

―同好会活動日誌―

大栄町誌と鳥取県神社誌にしか出てこない城跡だけど、字名を見ていてもここに城があったのは間違いなさそうね。

調査報告書には旧大栄町の城跡が記載されていなかったので存在しないと思っていたけど、実際には2城が所在したみたいよ。

大永の五月崩れで尼子氏に攻め滅ぼされた城。

とだけ伝わってるみたいで、その後どうなったのかはよくわからないお城だね。

 

地名の「六尾」に関しては城主であった六尾出羽守から名付けられた説と、

周辺に”尾”の付く小字が六つあることから付いたとされる説が見えるよ。

城跡に関する遺構と考えられそうなのは子守神社の土塁くらいだけど、

六尾集落の町並みもかつてのお屋敷の名残と云われているそうよ。

六尾出羽守之墓と子守神社、集落の町並みを見終わった後は六尾反射炉跡にも立ち寄ってみると、地域の歴史を感じられるかもね。

…六尾反射炉跡は観光地と思って期待して行くとちょっと微妙だけどさ。