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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 福頼城 > 同好会活動日誌

◆福頼城【訪問日:2014/11/03】 登城難易度⇒★★(普通)

【 概 略 】

福頼(汗入郡)と平岡(会見郡)の村境に堂社があり、その境内の石の宝殿内に宝篋印塔が3基安置してあると記される。

(3基の宝篋印塔は現在、福平公民館に移されている)

伝説では福頼左衛門の墓碑で、出陣に臨んでの逆修でもあると伝えられる。

 

大山雑号では福頼村の城主として以下の記述が見える。

福頼上野守沙弥、宇田川村福頼の城主なるべし」

 

150年前までは福頼左衛門の邸宅の跡があり、土塁の一部が残っていたと記述が見える。(淀江町誌)

 

汗入史綱では香春山合戦の前哨戦として以下の記述が見える。

「高麗山下には毛利方の福頼藤兵衛が居り、交通路を守っていた。

 毛利氏の四国遠征に際して伯耆国内の毛利勢が手薄になったところを伯耆国尾高城の奪還を切望していた行松二郎四郎によって当城は攻められ陥落。

 福頼藤兵衛は逃亡したと云われる。当城の落城後、天正13年7月14日早朝から香春山の合戦が行われた」

 

城跡の所在した正確な場所の特定はなされていないが福頼村に城砦、或いは居館を配置できそうな場所はこの場所しか考えにくく、

一部の資料では城跡として現地が推定されている。

また、平岡村にも古城跡があったと伝わり当城が福頼と平岡に跨っていた可能性も考えられている。

【 遠 景 】

平岡側からの眺め

宝篋印塔が祀られる福平公民館

【 概 要 】

名 称福頼城(ふくよりじょう)

別 名左衛門邸(さえもんてい)

所在地:鳥取県米子市淀江町福頼

築城年:不明

廃城年:不明

築城主福頼氏

城 主福頼上野守沙弥福頼藤兵衛福頼左衛門尉

文 献:汗入史綱(昭和12年9月発行)、淀江風土記(1989年)、淀江町誌(1985年) 、米子史談

形 態:丘城

遺 構:消滅(郭跡、土塁など館跡があったと云われる)

現 状:畑地

種 類:史跡指定なし

【 縄張り 】

存在せず

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

不明

不明

在地豪族福頼氏の城砦、或いは居館が所在したとされる。

天正13年頃

1585年頃

毛利方の福頼藤兵衛が当城に拠り街道の監視・防備を

担っていたとされる、伯耆国尾高城の奪還を目指した

行松二郎四郎によって攻撃を受け落城したとされる。

この戦が香春山の合戦の前哨戦とも云われる。

【 写 真 】

福頼左衛門の墓碑とされる3基の宝篋印塔

宝篋印塔周辺

宝篋印塔周辺

道路反対側の産土神を祀った社

―同好会活動日誌―

あまり文献には名前が出てこない城だけど、伯耆国の最後の戦い

「香春山の合戦」の舞台の一つで合戦の前哨戦が行われたとされる城跡よ。

城跡のあった場所の特定はされていないけど一部の資料ではこの位置が城跡と

推定されてるよ。

実際に辺りを探検してみた感じ、福頼村で城砦など戦闘施設を置くとしたら

この丘陵の他には考えにくいというのは歩いてみると納得できる話かもね。

平時の居館なら他にも考えられる場所はあったけど。

福平公民館に祀られている3基の宝篋印塔は福頼左衛門尉の墓碑と云われているよ。

元々は別の場所にあったみたいで、その場所こそが福頼城(或いは左衛門邸)とも

云われているけど、現在も何処にあったか特定されていないそうだよ。