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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 石井屋敷 > 同好会活動日誌

◆石井屋敷【訪問日:2013/05/18】 登城難易度⇒☆(楽)

【 概 略 】

現在は米子市営南公園墓地となっている。

公園(墓地)として造成がなされているため、遺構は徹底的な破壊・改変を受けているとされる。

 

所在したとされる場所には諸説あるようで、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)では

ドウド池の南側、公園墓地の最南端の丘陵を屋敷跡と推定している。

(別説ではドウド池の東側とする記述もみられるが、こちらは石井ではなく奥谷となる)

 

伯耆志の石井村 屋敷跡の条には以下の記述が見える。

「村中畠の字なり。古引氏の臣、内蔵允と云いし人の墟なりと云えり」

 

内蔵允と官位のみで記述される武将が屋敷の主とされるが、進氏の臣であったとも伝わることから

赤松政則と妻であった紀成盛の娘が離縁し、娘が故郷である伯州の長者原(坂中)へと戻る際に

道中の共として付き従った古曳永綱の家臣か一族と考えられる。

 

地元に伝わる口伝では周囲の山々には狼煙台などの伝令を行う施設が点在していたと伝わり、

伯耆国石井要害、伯耆国七尾城など周囲の城砦と連携した運用が行われたと云われる。

そのため周辺の山々の頂部には郭跡のような平坦地や礎石跡が見受けられる。

【 遠 景 】

米子市営 南公園墓地の最南端

屋敷跡とされる場所には東屋

【 概 要 】

名 称石井屋敷(いしいやしき)

所在地:鳥取県米子市石井

築城年:不明

築城主:不明

城 主内蔵允(本名不詳。古引氏、或いは進氏の臣と伝わる)

文 献:伯耆志、牧野家古文書、石井村名寄帳(元禄2年)、成美の歴史(昭和61年3月25日)

    鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

形 態:居館

遺 構:礎石、郭跡(丘陵頂部に二段の郭状平坦地、丘陵尾根に郭状平坦地)※遺構は全壊扱い。

現 状:米子市営 南公園墓地、山林

種 類:史跡指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

不明

不明

「古引氏の臣、内蔵允」の居館であったと伝わる。(伯耆志)

【 写 真 】

別の説で屋敷跡とされる丘陵

(こちらも墓地)

山中には石垣など(寺院跡?)

狼煙台があったと云われる山の郭跡

狼煙台があったと云われる山の郭跡の溝

―同好会活動日誌―

石井屋敷が所在したとされる場所は米子市営 南公園墓地の最南端、

ドウド池南側の丘陵頂部で東屋が建つ場所が有力らしいわね。

 

屋敷の場所には諸説あるみたいで、この場所以外にもドウド池東側、

集落から西に入った山がそうじゃないか…とも教えてもらったけど、

このあたりの山々には伝令のため施設として無数の砦や狼煙台があったとも

云われるそうよ。

素人のあたし達が勝手に場所を特定しちゃうと後々迷惑になるだろうから…

とりあえず鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に載ってる場所を

石井屋敷として紹介するよ。

伯耆誌には「古引氏の臣、内蔵允の墟なり」と屋敷の主に関する記述だけが

見えるけど、本名不詳で官位のみでいったい誰なのやら。

郷土の資料には進氏の臣とも記述が見えたので、恐らくは紀成盛の娘に従って

伯耆にやってきた古曳永綱の家臣か一族と考えられそうね。

あと、屋敷跡とは関係ないけど米子の地侍、片山小四郎の娘が開基になったと

云われる妙喜寺が近くにあるよ。