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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 佐陀城 > 同好会活動日誌

◆佐陀城【訪問日:2013/05/02】 登城難易度⇒☆☆☆☆☆(楽)

佐陀城があった正確な場所は解明されていないが、伝承には現在の佐陀神社周辺であったとされる。

別名「佐陀館」とも伝わることから神社の敷地が居館跡であったのではないか?とも考えられる。

境内の様子。

境内の北側~西側には高さ1メートル程度の土塁が配され、東側にも低層の土盛がなされているが、

佐陀城に関係する遺構なのかは不明。

正面鳥居から道路を挟んだ南側にも東側の土盛と同程度の高さの土塁が残っている。

この南側の土塁が佐陀城に関係する遺構の一部ではないかと云われる。

―概 要―

名 称:佐陀城(さだじょう)

別 名:佐陀館(さだのやかた)、佐田城(さたじょう)

築城年:不明

    杉原景盛が亡霊に怯え移城したとする伝承では1582年(天正10年)頃と推測される。

    陰徳記には香川春継が検使として訪れ、小土産山に城郭を築く普請の者を出すように要請するが

    杉原景盛は「佐田城の普請の途中である」と断る記述がある。

    香川春継からの普請は偽報とされるが、小土産山には城郭が築かれていたと云われる。

所在地:鳥取県米子市淀江町佐陀

築城主:不明(杉原景盛とする伝承が残る)

城 主:杉原景盛粟屋元辰

文 献:陰徳太平記、萩藩閥閲録、伯耆志、伯耆民諺記

形 態:平城

遺 構:土塁(南側の道路を挟んだ場所にある低い土塁)

現 状:佐陀神社、水田

種 類:史跡指定なし

地 図:

―年表―

年号 西暦 出来事

天正10年

1582年

杉原盛重の二男、杉原景盛盛重の家臣であった菖蒲左馬允が結託・

共謀し、尾高城主であった兄の杉原元盛を謀殺。

この後しばらくの間は杉原景盛が尾高城主であったとされるが、

すぐに佐陀へ新城を築き移ったとされる。

淀江に残る伝承では大山麓に大天狗が現れ諭され、土地神が現れ

相撲をとると城下に怪異が起きたり、兄の亡霊が城内を歩き回るなど、

幻覚に悩まされたのが原因として伝えられている。

毛利方の小早川隆景吉川元長ら、杉原景盛に叛意ありとして、

元長が部将の香川春継粟屋就光らを派兵し佐陀城を攻める。

 

8月15日、景盛は捕らえられ弁明をするも即刻切腹を言い渡され自刃。

景盛が自害した場所は島根県出雲市平田町にある大林寺とされる。

杉原家は毛利氏によって改易された。

 

杉原景盛討伐後は粟屋元辰が城主として任命されている。

―同好会活動日誌―

謎のお城と杉原兄弟喧嘩【2013/05/19更新】