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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 太鼓叩山砦 > 同好会活動日誌

◆太鼓叩山砦【訪問日:2013/12/15】 登城難易度⇒★★☆☆☆(普)

【 概 略 】

米子市水道局の配水池設置工事に伴い、平成25年5月から観音寺狼谷山遺跡の現地調査が行われ、

平成25年12月15日には一般財団法人米子市文化財団 埋蔵文化財調査室主催で一般公開が行われた。

 

発掘調査では東宗像22号墳に石棺、東宗像21号墳に石室が出土し、溝状遺構や柵跡などが確認された。

東宗像22号墳、東宗像21号墳周辺には古墳の凹凸を利用し中世に建造されたと考えられる郭跡が残り、

つぶて石や大筒用鉛弾も出土していることから戸上城の支城(出城)が所在した可能性は高いとされる。

鎌倉時代の物と考えられる陶磁器の破片も出土しており、鎌倉時代からの居館などの存在も伺わせる。

 

東宗像21号墳からは米子城戸上城尾高城石井要害手間要害など周辺諸城が一望できる。

このような要地に所在し戸上城の支城であったと考えた場合、現在の通説とされる戸上城の規模や

城砦の重要性や性質といった認識が大きく改められる可能性もあるとされる。

 

太鼓叩山の字は山に伝えの設備(太鼓)が置かれたことに由来すると云われる。

麓に「的場」の字も残るがこちらは明治時代に射撃場があったことから付けられた字であると伝わる。

 

配水池設置工事に伴い遺跡の大部分は埋め戻し(池の底になるため完全な破壊)予定であったが、

地元の方々の要望により東宗像22号墳の石棺は福市の考古資料館に展示、東宗像21号墳の石室は

配水池の工事完了後に場所を移して復元、保存される方向となった。

 

当企画では「太鼓叩山砦」と記載していますが、これは砦の主郭と考えられる東宗像21号墳が所在する

山の字が「太鼓叩山」と云われるため、地名を取った仮称であることをご承知ください。

地元では「太鼓山」とも呼ばれています。

【 遠 景 】

鉄塔左側の山が太鼓叩山

東宗像22号墳から戸上城の眺め

戸上城とは堀切で分断されていたとされる

【 概 要 】

名 称太鼓叩山砦(たいこたたきやまとりで)

所在地:鳥取県米子市宗像・長砂・観音寺

築城年:鎌倉時代?

築城主久代氏

城 主:伯耆山名氏…久代氏

    尼子氏…福頼元秀

    毛利氏…杉原盛重古曳吉種

文 献:無し

形 態:山城

遺 構:郭跡、堀切、溝状遺構、支柱跡、石棺、石室

現 状:水道局配水池、山林

種 類:史跡指定無し

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

鎌倉時代

不明

鎌倉時代と思われる出土品が残り、居館や城郭の存在が伺える。

戦国時代

不明

鉛弾の出土から、大筒が配備されていたと考えられる。

慶長年間

1600年頃

伯耆国戸上城の廃城と併せて廃城されたと推測される。

【 写 真 】

登城道

登城道近くの溝状遺構

東宗像22号墳の遠景

東宗像22号墳の連郭

東宗像22号墳の防柵支柱跡

東宗像22号墳の頂部郭跡

東宗像22号墳

東宗像22号墳の防柵支柱跡(上部から)

東宗像21号墳の溝状遺構と支柱跡

東宗像22号墳の石棺と穴跡

東宗像22号墳の石棺

東宗像22号墳の石棺の蓋?

大堀切

大堀切

戸上城とは数条の堀切で隔たれていた

東宗像21号墳の郭跡

東宗像21号墳の郭跡

東宗像21号墳の溝状遺構

東宗像21号墳の礎石跡

この石は他所から運ばれた石と云われる

東宗像21号墳の礎石跡

大きな権力を持った者の墓と推測される

東宗像21号墳の帯郭跡

東宗像21号墳から東の腰郭跡

東宗像21号墳から東の腰郭跡

東宗像21号墳の溝状遺構

東宗像21号墳から南西の腰郭跡

東宗像21号墳から南の腰郭跡

東宗像21号墳の石室

東宗像21号墳の石室

東宗像21号墳の石室

東宗像21号墳の礎石跡

古墳を砦に改変して運用したと考えられる

―同好会活動日誌―

今回の観音寺狼谷山遺跡の現地調査で、これまでの通説とされた

戸上城の詳細については認識が改められるかもしれない…らしいね。

一般財団法人 米子市埋蔵文化財センターの学芸員さんのお話だと、

発掘された出土品の中には鎌倉時代の物と思われる出土品もあって

鎌倉時代からこの辺りには比較的身分の高い人物が所在したそうね。

戸上城を築城したとされる久代氏の存在を裏付ける発見になると面白いけど。

 

あとは中世の出土品だと…つぶて石や大筒の鉛弾が出土していて、

戸上城に大筒が配備されていた可能性が高いことも解ったみたいよ。

鉛弾は実際に持たせてもらったけど、かなり重たかったわ。

鉛弾はもちろん大砲でとんでくるからあれだけど…

つぶて石でも当たったら普通に死んじゃうよね。

つぶて石の存在が戦に備えていたことを伺わせるわね。

つぶて石は日野川から拾ってきたのだろう。という話もあったけど、

戸上山は石が多く取れた山で、明治の頃には盛んに発破が行われたみたいよ。

 

遺跡の調査が終われば一般財団法人 米子市埋蔵文化財センターの研究員さん達の

調査も本格的に進んでいくと思うから続報に期待したいわね。

でも…

「遺跡の調査が終わる=遺跡が配水地によって破壊」

なんだよね…ちょっと悲しいよね。

あれだけ見事な石室が残ってるのに勿体無いなぁ。。。