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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 旧西伯郡淀江町 > 寺内城

◆ 寺内城

【 概 略 】

伯耆古代の丘公園」内にある瓶山古墳群の南西端丘陵に所在したと伝わり、汗入史綱では古城跡として図示が残る。

城域内には3基の古墳(主郭南端に前方後円墳、南一郭に円墳と方墳)があり、古墳の高低差を利用した城砦が存在したと考えられる。

 

1571年(元亀2年)、山中幸盛による第一次尼子再興戦の終盤、尼子方に与した城として登場する。

萩藩閥閲録では毛利方の武将、吉川元春が伯耆国末吉城を陥した後、続けて攻め陥とした城として記録に見える。

 

同年8月21日に落城。※末吉城と同じく8月18日の落城とも。

 

一説には末吉城、伯耆国稲吉城、伯耆国淀江城と共に大山寺(経悟院)が領した城砦とされ、末吉城から敗走してきた山中幸盛が当城に籠もり抵抗したとしている。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)の縄張図の図示では主郭とされる郭の様子はフラットになっているが、実際に主郭とされる郭は多段式の連郭式郭に見える。(但し、公園整備など発掘調査後の造作による可能性もある)

 

城跡は「伯耆古代の丘公園」内に所在するが他の古墳などの遺跡とは異なり特に管理はなされておらず、季節によっては茂みにマムシも棲んでいるそうなので公園としては「できれば一般の方の入場はご遠慮願いたい」とのこと。

 

当企画は「伯耆古代の丘公園」様のご厚意で下草を刈った直後に連絡を頂き取材をさせて頂きました。

(最終訪問時は運良く全ての草が刈られている状態でした)

【 遠 景 】

ほたて貝式古墳からの眺め

ほたて貝式古墳

北一ノ郭から主郭の眺め

【 見どころ 】

伯耆古代の丘公園

当城が所在する遺跡公園です。主に古墳時代にスポットを当てた展示物が多く、弥生時代をテーマとする展示物もあります。

時期によっては入ることの出来ない施設などもあるそうで、城跡を間近で見る場合は公園入場料が必要となります。

写真は竪穴式住居。

【 概 要 】

名 称寺内城(てらうちじょう)

別 名:瓶山ノ城(かめやまのしろ)

所在地:鳥取県米子市淀江町福岡

築城年:不明(1571年の第一次尼子再興戦以前の築城)

廃城年:不明

築城主:不明

城 主:(尼子氏)山中幸盛(大山寺)大山寺経悟院(毛利氏)不明

形 態:丘城(連郭式?)

遺 構:郭跡、腰郭、帯郭、土橋、礎石、五輪塔、櫓台跡?、虎口?、堀?、堀切?

現 状:公園(伯耆古代の丘公園

種 類:史跡指定無し

【参考文献】

・萩藩閥閲録・因伯郷村帳

・鳥取藩史(昭和45年3月)

・宇田川村史(大正4年9月:鳥取縣西伯郡宇田川村役場 足立正編)

・汗入史綱(昭和12年9月:国史研究部 本田皎)

【城娘】

 

【 縄張図 】

寺内城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

元亀年間

不明

元亀2年

1571年

6月、毛利方の武将、吉川元春が尼子再興軍の山中幸盛を伯耆国末吉周辺で破る。

8月18日、尼子方であった伯耆国末吉城は毛利方の吉川元春によって落城。

山中幸盛が捕縛された後、吉川元春は続けて当城を攻めたと云われる。

同月21日、吉川元春の攻撃によって当城は落城したと云われる。(萩藩閥閲録)

末吉城と同じく同月18日の落城であったとも。

 

末吉城、伯耆国淀江城、伯耆国稲吉城と共に西伯耆、或いは伯耆・因幡両国から尼子氏の勢力が一掃された頃に諸城揃って廃城しされたと考えられる。

【 写 真 】(訪問日:2013/08/25、2013/10/07、2014/04/05)

郭と郭の境界には堀切のような溝跡

主郭南側に方形区画

主郭東側の腰郭付近

方形区画の上には更に方形区画

主郭南端の前方後円墳は土塁か?

主郭東側の帯郭(要所に土橋)

主郭から南東側の帯郭

主郭から南東側の帯郭

主郭の西側には腰郭(一部のみ)

主郭の北西側は一部を除き斜面

主郭の南東には虎口と土塁

虎口周辺には礎石跡

北一ノ郭の北端

北一ノ郭の北端には二基の五輪塔

冒険広場奥の登城口から南側腰郭

南側腰郭を通り南一郭へ続く登城道

登城道の途中から南一郭

南一郭の様子

南一郭の西端

南一郭の北端

南一郭の円墳

南一郭の方墳(形の確認はできず)

城跡と公園を隔てる堀

堀から腰郭へ架かる土橋

伯耆古代の丘公園内の様子)

四隅突出型墳丘墓

高床建物

ハス池

公園内には古墳が点在