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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 戸上城 > 同好会活動日誌

◆戸上城【訪問日:2013/05/21】 登城難易度⇒★☆☆☆☆(易)

【 概 略 】

法勝寺川を東に望む戸上山の山頂に築かれた山城。

天正年間の四日市部落は城下町風の佇まいであり、刃物や農具といった鍛冶を主な産業としていた。

 

築城は天文年間、久代氏によるものとされているが、

異説には古曳吉種が城主の頃、娘を進氏に嫁がせた後に戸上山へ築城したとも伝わる。

 

湊山に伯耆国米子城が完成した頃の廃城と考えられるが、集落の住民を移住させるための町が

米子城下に宛がわれている。(伯耆国尾高城のように横田村詮の主導による強制的な移住かは不明)

町名は移住元となった四日市村から取って四日市町と名付けられ、今日まで存続している。

四日市町は主産業を鍛冶としたことから、別名「鍛冶町」とも呼ばれた。

 

江戸時代、荒尾氏の治世になると米子町政のため集落には町会所が置かれ、町年寄以下の役人が

月番で藩からの触れ書きの伝達、請願書の取次、諸々の許認可など事務業務にあたったとされる。

 

因伯古城跡図志には天空へ続く回廊のような城として描かれているが、

明治時代に採石のため戸上山では幾度も発破による破壊が行われており昔の姿を留めていないと伝わる。

 

当城は単郭の小規模な城郭とされているが、平成25年には観音寺狼谷山遺跡の発掘調査によって

太鼓叩山に中世城跡の遺構が発見されたことにより、伯耆国米子城や伯耆国尾高城に次ぐ規模とも

考えられ、当城の城域が大きく見直される可能性が残る。(太鼓叩山砦

また、周辺からは鎌倉時代の陶磁器の破片や大筒の鉛弾も出土しており、生活や戦の痕跡も伺える。

【 遠 景 】

太鼓叩山からの眺め

主郭とされる場所に鎮座する「村内安全」像

風雨による劣化が目立つ

【 概 要 】

名 称戸上城(とかみじょう)

別 名観音寺城(かんのんじじょう)、戸上山城(とかみやまじょう)

所在地:鳥取県米子市観音寺

築城年:1540年(天文9年)

築城主久代氏

城 主:伯耆山名氏…久代氏松原氏

    尼子氏…福頼元秀

    毛利氏…福頼元秀杉原盛重古曳吉種

文 献:因伯古城跡図志、伯耆志、伯耆志捜図、伯耆民談記

形 態:山城

遺 構:郭跡、土塁、(堀切、切岸、土橋、櫓台、竪堀、虎口、畝状竪堀)※()内は消滅した遺構

現 状:山林

種 類:史跡指定無し

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

鎌倉時代

不明

鎌倉時代の物と思われる出土品(陶磁器の破片など)が残る。

天文9年

1540年

伯耆山名氏に仕えた久代氏によって築城されたと云われる。

天文年間

不明

天文年間、松原氏が居城したと伝わる。

天正年間

不明

この頃、四日市部落は城下町風の佇まいであったと云われ、

古曳吉種が城主であったとされる。

慶長年間

1600年頃

廃城時期は不明だが、米子城下へ住民の移住が行われていることから

伯耆国尾高城の廃城と同じ頃と推測される。

明治時代

不明

採石のため、戸上山の山頂では発破工事が行われた。

山の形は崩れ昔の姿は無いと記述に残る。

【 写 真 】

集落北側に登城口

主郭へ続く登城道

登城道の道中には郭跡と土塁

主郭へ続く登城道

発破のための改変か郭跡は狭い

現状で郭跡は3段ほど残る

腰郭

土塁を伴う郭跡

登城道は整備が行われている

主郭からは法勝寺川や箕蚊屋平野を一望できる

発破や鉄塔工事によって原型を留めていない

主郭南側

麓には藤内稲荷神社が鎮座

藤内稲荷神社の境内

藤内稲荷神社境内の鳥居

藤内稲荷神社

藤内稲荷神社付近の郭跡

藤内稲荷神社付近の郭跡

藤内稲荷神社付近の石垣

明治時代遺構の建造物と云われる

金網で固定される石垣

採石のための発破で石の残骸が多数残る

発破跡の残骸

―同好会活動日誌―

この辺りに観音寺ってお寺は無いみたいなんだけど、

なんで地名が観音寺ってなってるの?

お城の別名も「観音寺城」だし。

実のところ、観音寺が四日市集落(当時は観音寺村)内にあったのは

400年前のお話なのよ。

とある事情で尾高城の近くに移った現在の小鷹山観音寺がその正体みたいよ。

とある事情って?

観音寺四代目住職(八世棟室和尚)と尾高城を治めた杉原盛重とは縁があって、

観音寺は杉原家の菩提寺に選ばれる程だったの。

杉原盛重が亡くなって暫くすると二人の息子達の間で家督継承争いが起こり、

弟の杉原景盛が兄の杉原元盛を謀殺。

殺した兄の菩提を弔うために杉原景盛が観音寺村から観音寺を尾高城下に

移してしまったのが原因と云われているわ。

 

一応、観音寺があったとされる場所には現在、慈眼庵というお堂があるそうよ。

県指定の重要文化財、十一面観音菩薩が本尊で仏像ファンの参拝も多いとか。

あと、お城について調べていたら山頂付近は採石のために爆破されたとか…

明治時代は採石場だったそうね。

山の形が原形を留めないほどに破壊されてしまったそうで…。

てっきり戸上城はバイパスや鉄塔の工事で破壊されたと思っていただけに、

実はそれ以前に破壊されていたと解った時にはちょっと残念だったわね。

 

あ、発破で思い出したけど作業をしていた方のお話では発破で使う

ダイナマイトを日野川や法勝寺川で炸裂させたダイナマイト漁をしてたみたい。

…面白いくらい鮎が獲れたと言われてたけど…ダイナマイト漁は違法な

禁漁法なので決して真似しちゃダメだからね!

あと、似たような漁法にガッチン漁ってのがあってね・・・

まー、禁漁法の事は置いといて、

平成25年まで行われた観音寺狼谷山遺跡の発掘調査によって、

今後は戸上城の認識が改められるかもしれない…ってのは

太鼓叩山砦(仮称)の活動日誌も参考にしてみてね。