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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市・米子市淀江町篇~ > 山市場砦

◆ 山市場砦【訪問日:2013/06/23】

【 概 略 】

現在の東堀神社境内とその周辺、字要害に砦があったと伝えられる。

元来、四日市村と山市場村は一つの村であったが元和年間に寺社領の検地が行われ、北部を公領として四日市村、南部を安養寺領として山市場村の二村に分割された。

当砦は安養寺領に所在する。

 

尚徳村史では城主に藤井左近将監を挙げている。

 

伯耆志の山市場村の条、要害の項に空堀を有した施設についての記述が見える。

「南方村に続きたる山林の中なり。空隍の趾有り。伝承ならず」

 

同じく山市場村の条、御所ヶ原の項に後醍醐天皇と関係する記述が見える。

「要害の東漸低き所より田土に及へる地にて安養寺より三丁許なり。次に記する所の後醍醐天皇、当村に車駕を止め給ひしより起れる名なりといへり」

 

歴史背景は不明だが、東を流れる日野川は当砦の天然の堀として運用された一方、氾濫時には少なからず被害を受けていたとも考えられる。

【 遠 景 】

東側からの遠景

東堀神社の境内

【 概 要 】

名 称山市場砦(やまいちばとりで)

所在地:鳥取県米子市福市

築城年:不明

築城主:不明

城 主藤井左近将監

文 献:伯耆誌、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)、尚徳村史(尚徳小学校編 昭和3年頃)

形 態:平城

遺 構:郭、土塁、横堀、堀、切岸?

現 状:東堀神社、墓地、畑地、山林

種 類:史跡指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

元弘2年

(元徳4年)

1332年

鎌倉幕府倒幕に失敗した後醍醐天皇が隠岐へと配流される際、随行した皇女、瓊子内親王の隠岐への同行は許されず、当地に留まったことが安養寺の開基となったと伝わる。

元和年間

不明

元和年間(1615年~1625年)の頃、寺社領の検地が行われ、北部は公領として四日市村、南部は寺領として山市場村に区別されたと伯耆志に記される。当地は安養寺の寺領とされた。

宝暦12年

1762年

旧7月15日、日野川の洪水により山市場村の安養寺領が流出。

旧8月9日、さらに5尺ほど高い水嵩の風水害に見舞われた。

【 写 真 】

北西側からの登城口

北西登城道には土塁と郭跡

北西の土塁

登城道を進むと東堀神社

北西の土塁

北西の郭跡

見張り櫓を置くには丁度良い広さ

北西の郭跡の麓には横堀

見張り櫓の郭跡の防衛用?

南側からの登城口

登城道途中は切岸となるが民家の改変?

東堀神社の鳥居正面の畑地は一段高い

礎石の残骸

東側の切岸

東堀神社の境内