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紀海六成盛(きのかいろく-なりもり)

【氏】【姓】朝臣【名】村尾【通称】海六【諱】成盛

【通称】村尾海六、村尾海録(むらお-かいろく)、村尾海六成盛(むらお-かいろく-なりもり)

【別名】海六成盛、海陸業戍(かいろく-なりもり)、紀成森(きのなりもり)、海陸(かいりく)

【所属】紀氏

【官位】不明

【出身】不明

【生年】不明

【没年】不明

平安時代末期~鎌倉時代にかけて伯耆国西部で勢力を誇った紀氏の一族。海六成国の父とも。

「村尾海六」の記述が多く見られるが登場する時代に幅があり、世襲として「紀成盛」の名を継いでいると考えられる。

 

伯耆国村尾城(会見郡)、伯耆国村尾城(日野郡)などを居城とした。

 

1171年(承安元年)7月、火災によって大山寺の宝殿が焼失。財政の厳しかった大山寺に代わって再建を行った。

1173年(承安3年)8月、奉納された大山寺鉄製厨子銘文に再建について記述が見える。

 

源平合戦において当初は平氏に属していたが、後に西伯耆の武士と共に源氏へ属したことから平氏に属した小鴨氏との対立が激化し、以前から続く小規模な小競り合いが大きな戦闘へと変化する要因となった。

 

1182年(寿永元年)8月、小鴨基保との合戦で勝利。(吉記)

 

1183年(寿永2年)~1184年(寿永3年)にかけて院の御子を担ぎ上げ反平氏の活動に協力し、一時は伯耆国の半分(会見郡と日野郡か?)と美作国の一部を支配下に置いている。(玉葉、寿永3年2月2日の条)

 

一連の伯耆国での内乱が終結すると文献から「紀成盛」の記述は途絶えるが、小鴨基保との戦に敗れ滅亡したとされる。

 

南北朝時代から登場する相見氏紀氏の後裔を称し、紀成盛を祖としている。

また、巨勢氏進氏も紀氏を祖と称している。