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HOME > 武将列伝帖 > ま行(ま) > 真野 重成

真野隠岐守重成(まの-おきのかみ-しげなり)

【氏】不明【姓】不明【名】真野【通称】隠岐守【諱】重成

【所属】伯耆山名氏

【官位】隠岐守、兵部少輔

【出身】不明

【生年】不明

【没年】不明

伯耆山名氏の重臣、真野氏の一族。

元々は伯耆山名氏の一族であったが、真野の地に移り土着したことから真野氏を名乗ったともされる。

山名教之の弟とも云われ、伯耆山名氏の家臣として伯耆国日下城を預かり、後に伯耆国真野城(伯耆町岸本)へ移ったとされる。

 

伯耆国日下城から南東の位置、現在の瑞仙寺周辺に居館(真野氏館)、もしくは別荘を構えていたとされ、寛正年間(1460年2月)に発給された真野隠岐守宗鎮瑞仙寺竹翁と連署の証状が瑞仙寺文書に残る。

 

1544年(天文13年)、尼子晴久の侵攻を受け真野城が落城すると一族は尼子氏へ臣従とある。

 

伯耆国尾高城の西側、上市に所在した伯耆国上市城の城主であったとする説も存在するが、これは後年に編纂された「日本城郭全集11」での記述から引用された説と考えられ、郷土の研究者からは調査不十分な誤った記載であると指摘がされている。

”隠岐守”を称した真野氏は複数存在するため、上市に真野氏一族の居館があった可能性も僅かに考えられる。