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山名治部大輔秀之(やまな-じぶのたいふ-ひでゆき)

【氏】【姓】朝臣【名】山名【通称】治部大輔【諱】秀之

【所属】伯耆山名氏⇒毛利氏

【官位】治部大輔

【出身】不明

【生年】不明

【没年】1569年(永禄12年)

伯耆国米子城飯山城)の城主として名前が見える人物。

 

1524年(大永4年)、大永の五月崩れによって尼子方に奪われた米子城飯山城)奪還のため、毛利方の部将として従った伯耆山名氏の一族。

 

1562年(永禄5年)、尼子氏の支配していた米子城飯山城)を毛利方の吉川元春に従い攻め落とし、毛利方が伯耆国米子城飯山城)を回復すると城主に任命されている。

 

1569年(永禄12年)、尼子家再興の軍を興した尼子家旧臣の山中幸盛米子城飯山城)を奪われ自害とある。

 

郷土史には山名之玄山名之秀)と同一人物とする記述が見え、米子城飯山城)を回復した後に毛利方を裏切り山中幸盛ら尼子再興軍を米子城飯山城)に迎え入れたとしている。