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行松源太兵衛(ゆきまつ-げんたひょうえ)

【氏】不明【姓】不明【名】行松【通称】源太兵衛【諱】不明

【所属】伯耆山名氏

【官位】兵衛尉

【出身】不明

【生年】不明

【没年】不明

伯耆国尾高城の城主、行松正盛と同じく伯耆山名氏に仕えた伯州衆で行松氏の一族。

1521年(永正18年、大永元年)頃、伯耆国七尾城の城主とされる人物。

 

1524年(大永4年)の尼子氏による西伯耆侵攻(大永の五月崩れ)によって行松氏の家城、尾高城は落城。

尾高城の城主であった行松正盛は国外へ逃亡し、支城であった七尾城も落城(或いは放棄)され流浪の身となった。

 

伯耆国から退去した後、若狭の小浜で戦死したと郷土史には記述が見える。

 

1562年(永禄5年)の夏頃、毛利氏と結んだ行松正盛は尼子氏から尾高城を回復。七尾城も併せて回復されたと推測されるが、1601年(慶長6年)に吉川広家が阿陀萱神社へ寄進を行うまで七尾城に関連する記述は見られない。