トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 旧跡図録 > 上淀廃寺跡 > 同好会活動日誌

◆上淀廃寺跡

【訪問日:2014/08/31】※ページ内に掲載の解説板の写真につきましては上淀白鳳の丘展示館様より掲載の許可を得ています。

【 概 略 】

飛鳥時代の終わり頃(7世紀終わり頃)に建立された寺院跡と云われる。(一説には683年の創建とも)

1991年(平成3年)からの発掘調査によって金堂跡からは粘土製の仏像の破片や国内最古級の仏教壁画が発見されている。

 

当寺の伽藍配置は三塔一金堂の特徴的な配置であったと考えられているが、金堂東側の三塔(北塔・中塔・南塔)のうち

北塔は心礎のみで基壇の痕跡が確認されないことから、北塔については建物の存在の有無が未だ不明とされる。

 

汗入郡衙が郡内秩序の安定を図って建立したとも考えられているが、平安時代中頃(11世紀初め頃)には火災によって焼失、

その後復興されることはなかったとされる。

この時の火災によって金堂の仏教壁画が焼き付き残ったと考えられ、火災の高熱によってベンガラ、緑青、群青などの

顔料以外の色彩は失われてしまっている。

 

当寺の創建を白鳳時代と記述するものもあるが、白鳳時代とは文化史上の時代区分であり、

飛鳥時代から奈良時代の間で大化の改新を境に645年~710年頃までを指す。

 

また、壬申の乱(672年)を境に前期・後期に分けられる。

【 遠 景 】

三塔一金堂の特徴的な伽藍配置

国指定史跡でこまめに整備が行われている

周辺の地形模型

【 概 要 】

名 称上淀廃寺跡(かみよどはいじあと)

所在地:鳥取県米子市淀江町福岡

建立年:683年頃

建立主:汗入郡衙?

文 献:上淀廃寺跡パンフレット(米子市教育委員会)、よどえの郷トークプレイス講座テキスト

遺 構:金堂跡、塔跡、心礎、石敷跡、付属建物跡 ※遺構は全て埋め戻されているため目視できるものは復元されたもの。

現 状:公園

種 類:国指定史跡(平成8年)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

なし

683年頃

上淀廃寺が創建されたと云われる。

天平勝宝年間

752年頃

この頃、上淀廃寺の本尊が丈六三尊像に替わったとされる。

長保年間?

1000年頃

この頃、上淀廃寺が焼失したとされる。

【 写 真 】

概要解説板

復元図案内板

三塔の遠景

金堂と中塔、南塔の復元図

石敷き

石敷き跡の解説板

築地塀跡

築地塀跡の解説板

金堂跡と三塔跡

寺院配置の解説板

金堂の瓦積み基壇(復元)

金堂跡の解説板

北塔心礎

北塔心礎の解説板

中塔跡

中塔跡の解説板

南塔跡

南塔跡の解説板

104・103号付属建物跡

104・103号付属建物跡の解説板

105号付属建物跡

105号付属建物跡の解説板

鐘楼跡

鐘楼跡の案内板(解説板の写真は紛失…)

111・115号付属建物跡

111・115号付属建物跡の銘板

付属建物・先行建物群

付属建物・先行建物群の解説板

121号付属建物跡

121号付属建物跡の銘板

上淀廃寺跡の東に北尾城への登城道

上淀廃寺跡から北尾城の眺め

上淀廃寺跡から伯耆国寺内城の眺め

天神垣神社(あめのかみがきじんじゃ)

天神垣神社は石馬で有名

天神垣神社のサイノカミ

【同好会活動日誌】

上淀廃寺は淀江町にある国指定の史跡だよ。

いつも整備がしてある(はず)なので、手軽に訪れることができる遺跡だね。

ちなみに上淀廃寺の東側から伯耆国北尾城への道もあるんだよ。

伯耆国北尾城は史跡指定されていない民有地なので、入る際には所有者に許可を取るなどちゃんと手順を踏んでね。

 

上淀廃寺は伽藍配置や北塔の状態、焼失後の歴史など多くの謎が残っているけど規模からは当時、

相当の力を持った豪族がこの地に所在した事を伺わせる遺跡ね。

上淀廃寺については現地を訪れる前(もちろん後でもOK)に麓にある「上淀白鳳の丘展示館」さんへ訪れることをお勧めするわ。

(あ、説明するのが面倒になって逃げたよ…)

調べたところ、上淀廃寺から北東に所在したとされる伯耆国北尾城とは時代的に全く接点は無いみたい。

出丸などとして使用されていた、とかだったら面白かったのにね。

平安時代中期に焼失した後の詳細は一切が不明だけど、その後に利用された形跡も無いようね。

あ、平成26年からは上淀廃寺で「彼岸花プロジェクト」が始まってて、

数年もすれば秋の終わり頃には彼岸花で覆われた美しい風景が見れるようになるかもしれないよ。