トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~西伯郡伯耆町篇~ > 旧日野郡溝口町 > 二部上要害

◆ 二部上要害

【 概 略 】

伯耆志の二部村の条、古城の件に以下の記述が見える。

「一は要害山と云ふ。永禄中、足羽将監此に居すと云へり。説足羽氏の下に載す。近年、鉄砂を流すか為に城跡大に崩れるといへとも今なほ形様を存す」

 

伯耆志に見える「鉄砂を流すか為に城跡大に崩れる」の記述は縄張図から当城の事と推測でき、主郭西側へ不自然に展開する巨大な竪掘状の溝はたたら製鉄の鉄穴流し(かんなながし)による真砂土採取の痕跡とも考えられる。

 

郷土史「ふる里 野上の郷」では「足羽筑後守久重納経至徳4年(1387年)の記あり」とし、「これが上要害在城か?」と付記している。

 

溝口町誌では当城(上要害)についての記述は無く二部城二部下要害についての記述のみが見える。

「字古城山にあり。西に面する一弧山、足羽将監重成の居城の跡という」

 

足羽氏については織田氏に追われ二部村へ落ち延びてきた説、縁故を頼って二部村に来た説など諸説が伝えられているが足羽家にも詳しい話は伝わっていないとのことであった。

【 遠 景 】

北側の居館跡とされる郭跡

主郭は配水池施設

主郭南側の四連郭

主郭北西側の帯郭

【 見どころ 】

竪掘?鉄穴流し跡?ただの崩落地形?

南側に不自然な竪掘状の溝があります。

縄張図を見る限りだと主郭西側の腰郭を数段断ち切っているので、崩落か意図的に破壊された可能性が高そうです。

伯耆志の「鉄穴流しによって城跡が一部破壊されたが今も形を留める」という一文が気になりますね。

【 概 要 】

名 称二部上要害(にぶかみようがい)

別 名:二部要害城(にぶようがいじょう)、二部城(にぶじょう)

所在地:鳥取県西伯郡伯耆町二部

築城年:不明(永禄年間?)

廃城年:不明

築城主足羽重成

城 主:(藤原氏)足羽久重

形 態:丘城

遺 構:郭跡、腰郭、帯郭、堀切、土塁、切岸、居館跡、井戸跡、竪掘(鉄穴流し跡?)

現 状:山林、畑地、配水池

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・伯耆志

・日野郡史 前篇(昭和47年4月 日野郡自治協会)

・日野郡史 中篇二(昭和47年4月 日野郡自治協会)

・溝口町誌(昭和48年9月 溝口町誌編さん委員会)

・ふる里 野上の郷(平成11年12月20日 溝口町二部公民館 著)

・溝口町制施行40周年記念 文化財ガイドブック ふるさと溝口(1993年 溝口町教育委員会編)

【城娘】

 

【 縄張図 】

二部上要害略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

至徳4年

1387年

足羽筑後守久重が納経とある。(天寧山傳燈寺か?)

【 写 真 】(訪問日:2014/10/12)

配水池に続く舗装道路

主郭南側に展開する四連郭(最上段)

主郭から南側に展開する四連郭

四連郭の一部には土塁

主郭北側の井戸跡の郭跡