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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 米子市 > 七尾城

◆ 七尾城

【 概 略 】

三笠山の山頂から各尾根伝いに連郭式の郭を展開する縄張で、主郭より七つの尾をひいたような形状だったことから七尾城と云われ、橋本村の字要害に所在したことから橋本城、或いは橋本要害とも云われる。

主郭には東の大山を向いた鳥居の礎石跡が残り、かつては神社、或いは寺院が存在したと古老の話に伝わっている。

 

三笠山は後に宝石山と呼ばれるようになり、山名から宝石城の別名でも呼ばれる。

「神代の昔、宝石天降り一夜の中に出現せし故、この山を宝石山と称す」

 

鎌倉時代、伯耆国尾高城を本拠地として勢力を誇った伯州衆、行松氏による築城と伝わり、行松氏の支城の一つ。

北に所在する石井要害石井城の詰め城とも推測されている。

 

伯耆民談記の橋本村の条に以下の記述が見える。

「榎原郷橋本村に有り。古城主生松源太兵衛の家城なり」

 

伯耆民諺記などに記される1524年(大永4年)の大永の五月崩れでは行松氏の本拠地であった尾高城が落城すると、行松源太兵衛が拠った当城も落城、或いは放棄されたとしている。

 

阿陀萱神社の社伝には以下の記述が見える。

「天文元年壬申、尼子伊豫守経久より八幡宮と丙社へ72石の寄付あり」(鳥取縣神社誌)

 

西の山麓に鎮座する阿陀萱神社の縁起には1523年(大永3年)に尼子経久からの寄進が行われており、大永の五月崩れ以前から当地が尼子氏の支配下にあったことを伺わせる。

城跡からは焼米が見つかったと地元の資料に記述があり、何らかの戦が行われた可能性も考えられる。

 

1562年(永禄5年)、毛利氏の支援を受けた行松正盛は尼子方から尾高城を回復しているが当城に関する記述は見られない。

城主であった行松源太兵衛も当城回復前に若狭の小浜で戦死したと云われる。

 

1593年(文禄元年)の高麗陣では日本軍の戦勝を祈願したことが社伝に見える。

「文禄元年、秀吉高麗陣の時、諸国高知行の神々を勧請し日本勝利の祈念を仰せられし時に社司山川検校十三にして父に離れ、御供致さず神領差出せし(略)」(鳥取縣神社誌)

 

社司の山川検校は父の死去のため御供できないことから神領を差し出したとしている。異説に没収とする説もある。

 

1601年(慶長6年)には伯耆国米子城の城主、吉川広家から寄進があったと社伝に見える。

「慶長6年辛丑7月5日、米子城主吉川氏、御供田高三石一斗九升二合寄附あり。然るに山川相馬火災に逢ひ、吉川氏寄附の証、今に焼残りあれど(略)」(鳥取縣神社誌)

 

吉川広家より3石の寄進を受けたとするが証文は消失とある。

 

宝石山と呼ぶ由来に、天から三つの大石が降ってきたという伝説が伝わるが、その時に降ってきた宝石とされる3つの巨石が現在も橋本集落内に現存している。

橋本の由来は集落南の街道に、かつて石橋(字石橋上、石橋下)が掛かっていた事が由来とされる。

 

1818年(文政元年)、鳥取藩の調査で因伯古城跡図志に描かれ、伯耆誌の挿絵「捜図」にも石井要害と併せて描かれている。

【 遠 景 】

石井要害からの眺め

標高108mの宝石山

西側からの遠望

麓の阿陀萱神社と宝石

【 見どころ 】

阿陀萱神社

宝石山の麓に鎮座し、鳥居の前にある巨石は宝石と呼ばれます。

宝石と呼ばれる巨石はこの他にも村内の3箇所で見ることができます。

古曳盤谷の天井絵

阿陀萱神社の天井には古曳吉種の子孫、古曳秀信(盤谷)の奉納絵があります。

一般公開はされていないので見学できる機会は限られます。

【 概 要 】

名 称七尾城(ななおじょう)

別 名:宝石城(ほうせきじょう)、橋本城(はしもとじょう)、橋本要害(はしもとようがい)

所在地:鳥取県米子市橋本、鳥取県米子市奈喜良

築城年:鎌倉時代

廃城年:不明

築城主行松氏

城 主:(伯耆山名氏)行松源太兵衛(尼子氏)不明(吉川氏)不明

形 態:連郭式山城

遺 構:郭跡、竪堀、切岸、堀切、土塁、土橋、虎口、枡形、礎石跡、井戸跡

現 状:山林

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・伯耆志・阿陀萱神社縁起・因伯古城跡図志

・新修米子市史第12巻資料編(絵図・地図)

・成実の歴史(昭和61年3月25日)

・新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ(平成24年6月発行:鳥取県神社誌編纂委員会)

【城娘】

 

【 縄張図 】

不明

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

鎌倉時代

不明

大永年間

不明

大永3年

1523年

大永4年

1524年

文禄元年

1592年

天正15年

天正16年

1587年

1588年

文禄元年頃

1593年頃

慶長6年

1601年

阿陀萱神社へ伯耆国米子城の城主、吉川広家から3石の寄進が行われている。(成実の歴史)

【 写 真 】(訪問日:2013/05/18、2014/05/18)

集落北側

集落内に宝石と呼ばれる巨石

神田(じんでん)と呼ばれる田圃

南側には切通の登山道が整備

南側の登山道

南側の登山道

道中に杜司の墓とされる石碑

南西の郭群

南西の郭群

南西の郭群

南西の郭群の土塁

南西麓の郭群の土塁

南西麓の郭群の堀切

南西麓の郭群の堀切

主郭へ続く登山道

主郭へ続く登山道

南西中腹の郭群へ続く登山道

南西中腹の郭群(下段)

南西中腹の郭群(下段)

南西中腹の郭群(中段)

南西中腹の郭群(中段~下段)

南西中腹の郭群(上段)

主郭西側の連郭(下段)

主郭西側の連郭(下段)

主郭西側の連郭(下段)

主郭西側の連郭(中断~下段)

主郭西側の連郭(中段)

主郭西側の連郭(主郭~中段)

主郭の様子

主郭の様子

主郭の様子

主郭の様子

主郭の様子

主郭の様子(東側)

主郭の様子(東側)

主郭からの眺め

主郭の礎石

主郭の鳥居跡の礎石

主郭東側の連郭(切岸)

主郭東側の連郭(土塁)

主郭東側の連郭(通路)

主郭東側の連郭(虎口)

主郭東側の連郭(土塁)

主郭東側の連郭(枡形虎口)

主郭東側の連郭(通路)

主郭東側の連郭(通路)

主郭西側の郭跡

主郭西側の郭跡

主郭西側の郭跡から主郭

主郭西側の郭跡から主郭の切岸

主郭西側の郭跡から主郭

主郭西側郭跡の井戸跡

宝石山の山麓に鎮座する阿陀萱神社

阿陀萱神社

阿陀萱神社の社殿

古曳盤谷の天井絵

阿陀萱神社の案内板