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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 米子市 > 山市場砦

◆ 山市場砦

【 概 略 】

現在の東堀神社境内とその周辺、字要害に砦が所在したと伝える。

尚徳村史では城主に藤井左近将監を挙げているが、歴史的な背景は不明。

後醍醐天皇の娘、瓊子内親王が開基とされる会見山安養寺との関係から鎌倉時代頃の城砦と推測される。

 

元来、四日市村と山市場村は一つの村であったが、元和年間に寺社領の検地が行われ、北部を公領として四日市村、南部を安養寺領として山市場村の二村に分割され、当砦は安養寺領に属している。

 

伯耆志には山市場村の条、要害の項に空堀を有した施設についての記述が見える。

「南方村に続きたる山林の中なり。空隍の趾有り。伝承ならず」

 

同じく山市場村の条、御所ヶ原の項に後醍醐天皇と関係する記述が見える。

「要害の東漸低き所より田土に及へる地にて安養寺より三丁許なり。次に記する所の後醍醐天皇、当村に車駕を止め給ひしより起れる名なりといへり」

 

東を流れる日野川は天然の水濠となり、物資輸送の際には水運としても利用された一方、伯耆国戸上城の城下町、四日市村と同じく氾濫時の水害の脅威に度々頭を悩ませていたようである。

 

1762年(宝暦12年)7月には 日野川の氾濫による洪水で安養寺が流出、翌月には更に5尺(約150cm)高いとする洪水に見舞われるなど大きな被害を受けている。

【 遠 景 】

東側からの遠景

南側の参道

東堀神社の鳥居

空堀と切岸の名残

【 見どころ 】

東堀神社と空堀

字名は「要害」、鎮座する神社は「東堀神社」の名称から、起こりとして要害に堀を備えた施設が所在したことを伺わせます。

宅地や神社の造成のための改変かもしれませんが、東堀神社境内には空堀と思われる溝を利用した参道が見えます。

後醍醐天皇の娘、瓊子内親王の開基とされる会見山安養寺との関係が推測されますが、どういった施設だったのかは不明です。

【 概 要 】

名 称山市場砦(やまいちばとりで)

所在地:鳥取県米子市福市

築城年:不明

廃城年:不明

築城主:不明

城 主藤井左近将監

形 態:丘城、海城(日野川に対する)

遺 構:郭、土塁、横堀、堀、切岸

現 状:東堀神社、墓地、畑地、山林、民家

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・伯耆志

・尚徳村史(昭和3年頃:尚徳小学校編)

・鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【城娘】

【 縄張図 】

不明

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

元弘2年

(元徳4年)

1332年

元和年間

1615年

1625年

宝暦12年

1762年

旧7月15日、日野川の洪水により山市場村の安養寺領が流出。

旧8月9日、さらに5尺ほど高い水嵩の風水害に見舞われた。

【 写 真 】(訪問日:2013/06/23)

南側の参道沿いの郭跡

南側の参道沿いの様子

南側の参道沿いの様子

西側の郭跡

北西側の郭跡と北側の参道

北側の郭跡

北西側の郭跡と土塁

北西側の土塁

北西側の虎口と土塁

北側の郭跡の高まり

北東側の横堀

北東側の横堀

北東側の横堀

東側の切岸

東堀神社の境内

東堀神社の境内

東堀神社の境内