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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~西伯郡南部町篇~ > 旧西伯郡西伯町 > 小鷹城

◆ 小鷹城

【 概 略 】

荒神山に所在。

吉川広家が湊山に伯耆国米子城を築くにあたり、当城の天守建物を湊山まで移築したという伝説が残る。

※伯耆国尾高城の別名が「小鷹泉山城」であり、移築については尾高城とする説もあり。

 

米子城へ天守建物が移築されたとする根拠としては当城が吉川氏から特に重要視された城郭であったことが根拠とされる。

湊山への築城は東から攻めてくる織田軍に備えたとする説で、米子城が落城した際は当城を代替の政庁とすること、更に侵攻を止められない場合は当城に殿軍を置いて時間を稼ぎ、本隊が新山要害への隠し道を通って速やかに本拠、出雲国月山富田城まで退けるよう考えた設計がなされたとしている。

 

当城だけの縄張を見る限り、単郭でそこまで重要な城郭とは考えにくいが、南西の丸山固屋小應城)、北東の柏尾砦、伯耆国村尾城を併せると数千の兵員を配置・訓練できる郭跡に自給自足が可能な田畑が城域に入る。

米子城月山富田城へ繋がる最短距離の隠し道も存在していたとするなら重要拠点の一つとして扱われていたことは推測できる。

重要拠点として扱われた当城が文献に殆ど見えないのは米子城の隠し城という性質があり公にできなかったためと云われる。

 

南西の丸山固屋、北東の柏尾砦までの範囲の城域が「小鷹城」「丸山城」とも考えられる。

 

1564年(永禄7年)4月、毛利方に与した片山平左衛門によって尼子氏の籠もる天万固屋(高固屋とも)が陥とされると、続いて当城(丸山固屋)を攻め陥としたと感状に記述が見える。(萩藩閥録)

【 遠 景 】

南東からの遠景

北側からの遠望

北側の池

北西の腰郭に参道

【 見どころ 】

秋葉神社

主郭には防火祈念のため秋葉神社が勧請されています。

秋葉神社の鎮座する城砦に入るためには集落内の民家を通るか、西の竪掘状崩落地から登城することになります。

【 概 要 】

名 称小鷹城(こたかじょう)

別 名:柏尾城(かしおじょう)、柏尾砦(かしおとりで)、丸山城(まるやまじょう)、丸山固屋(まるやまこや)

所在地:鳥取県西伯郡南部町福成

築城年:不明

廃城年:不明

築城主:不明

城 主:(毛利氏)山田重直(吉川氏)山田盛直

形 態:丘城

遺 構:郭跡、堀、堀切(竪堀?)、井戸跡?

現 状:秋葉神社分社、山林

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・会見町誌(昭和48年12月 会見町誌編さん委員会)

・会見町誌 続編(平成7年10月 会見町誌編さん企画委員会)

・戦国動乱期の伯耆

【城娘】

 

【 縄張図 】

小鷹城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

永禄7年

1564年

天正13年

1585年

天正20年

1592年

慶長6年

1601年

関ヶ原の戦いで西軍として戦った吉川広家が岩国へ転封となると山田盛直ら山田家も付き従い、吉川家の家臣として共に岩国へ移った。

【 写 真 】(訪問日:2013/08/18)

北東の民家側に参道

北東の参道

案内板

案内板

主郭は秋葉神社境内

秋葉神社境内

井戸跡らしき窪み

竪掘状の崩落地

竪掘状の崩落地

北側の帯郭