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HOME > 伯耆古城図録 ~日野郡篇~ > 黒坂城鏡山城 > 同好会活動日誌

◆鏡山城【訪問日:2013/04/13】 登城難易度⇒ ★☆☆☆☆(易)

伊勢国亀山の領主、関一政が黒坂藩主として転封された後に新しく建造されたのが鏡山城である。

裏山の黒坂城は中世以前から存在する城で氏の建築ではない。

JR黒坂駅構内の線路を横断し(踏切無)聖神社を左に直進する道、城跡南にある光明寺からの登城道、

県立日野高校(黒坂施設)前の踏切を渡り校庭横から虎口を通って鏡山城跡までと続く道がある。

線路を横断する道は電車が通る時はもちろん、線路を渡る道自体も足を取られかねない危ない道である。

(特に陽が落ちた時間帯以降は要注意。奈落に落ちます)

光明寺からの道は土塁、日野高校からの道は虎口など、遺構を見ながら鏡山城跡へと進むことができる。

鏡山城(陣屋)跡までは容易に到達することができる。鏡山城跡には案内板と東屋が建てられている。

地元では鏡山城の再建を目指す団体もあるそうなので、今後整備されることを期待したい。

―概 要―

名 称:鏡山城(かがみやまじょう)

別 名:黒坂陣屋(くろさかじんや)※関氏改易後

築城年:鏡山城⇒1612年(慶長17年)築城開始、1614年 (慶長19年)完成

    黒坂陣屋⇒1618年(元和4年)

所在地:鳥取県日野郡日野町黒坂

築城主:関一政

城 主:関氏…関一政

    池田氏…福田久次福田久重、福田久隆、福田久武、福田久品、福田久茂、福田久命

        福田久寧、福田久鎮、福田久徴、福田久就山上半太夫(城奉行、代々世襲)

形 態:平山城

遺 構:土塁、郭、虎口、堀、井戸

現 状:山林

種 類:史跡指定なし

地 図:

―年表―

年号 西暦 出来事

慶長15年

1610年

伊勢国亀山の領主、関一政が伯耆黒坂5万石として転封される。

(転封当初、関一政は伯耆国亀井山城を居城とし、黒坂5万石城下町

 建設のため候補地を探し黒坂の地を定めたとされる)

慶長17年

1612年

関一政によって伯耆国黒坂城の麓に当城の築城を開始。

同時に南北3筋・東西5筋の城下町整備も始まる。

慶長19年

1614年

当城が完成する。

(山頂の伯耆国黒坂城との運用は不明)

元和4年

1618年

家中不統一を理由に氏は改易。

関氏の改易にあわせ当城も破却が行われた。

以後は鳥取藩池田氏領となり池田家重臣、福田氏が自分手政治を行う。

廃城後は陣屋を築き、城奉行の山上半太夫を常駐させ明治初期まで

代々黒坂を治めた。

福田氏が11代、城奉行の山上半太夫も世襲により代々襲名した。

―同好会活動日誌―

黒坂城と鏡山城【2013/04/28更新】