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HOME > 伯耆古城図録 ~日野郡篇~ > 天狗岳陣所

◆天狗岳陣所

【 概 略 】

伯耆国江美城の東側、字堀切を隔てた字ヲクビの東に字天ゴウ瀧という地名があり、「天狗山」或いは「天狗岳」という低山が存在したと云われる。

地元の伝承では毛利氏による江美城攻略戦において毛利方の総大将、杉原盛重が陣を敷いた場所と伝えられる。

 

蜂塚氏が籠もる江美城の本丸に対して銀杏ノ段兎丸、天狗ヶ滝から砲撃・射撃を行ったと江府町史に記述が見え、「天狗ヶ滝」が当陣に当たる。

 

「天狗岳」が消滅しているため程度は不明ながら江美城本丸を見下ろすことが出来る高さにあり、江美城東側の防御が他の方角に比べて比較的薄く野戦場とするなら天狗岳周辺までが江美城の城域とも考えられる。

 

字名に「天狗滝(てんぐたき)」も見えるが滝は確認できない。

天狗岳が存在した頃に滝があった可能性もあるが現在は南側の南谷川(うなんだがわ)の急流が滝のような音を出していることから「天狗滝」の名が付いたとも云われるが定かではない。

 

天ゴウ瀧からは「天狗瀧日南奥平(ひなおくひら)」「天狗瀧日南下平」「天狗瀧景上ノ平」などを通り兎丸へと続く道があり、土塁や土橋など簡単な防御施設が見える。

 

蜂塚氏滅亡後、当陣について詳細の一切は不明。

1818年(文政元年)の因伯古城跡図志では江美城東側の堀切以東に「此所野原」とだけ記述が見える。

江美城攻略のための布陣(陣城)であり、攻略後の維持は不要とし撤収されたと推測される。

【 遠 景 】

字天ゴウ瀧の遠望(南西から)

江美城本丸からの遠望

天ゴウ瀧から江美城の遠望

天ゴウ瀧から兎丸の遠望

【 概 要 】

名 称天狗岳陣所(てんごうだけじんしょ)

別 名天狗山陣所(てんぐやまじんしょ)/天狗ヶ滝(てんごうがたき)

所在地:鳥取県日野郡江府町江尾字天ゴウ瀧

築城年:1564年(永禄7年)/1565年(永禄8年)

廃城年:1564年(永禄7年)/1565年(永禄8年)

築城主:(毛利氏)杉原盛重

城 主:(毛利氏)杉原盛重

形 態:陣地

遺 構:不明(郭跡、切岸、虎口、石塁)

現 状:田圃、畑地、山林

種 類:指定史跡なし

【参考文献】

・陰徳太平記・伯耆志・伯耆民談記・伯耆民諺記・森脇覚書

・江府町の文化財探訪<第1集>(平成元年3月:江府町教育委員会)

・江府町史(昭和50年12月:江府町史編さん委員会)

・新修江府町史(平成20年6月:江府町史編纂委員会)

【城娘】

【 字切図 】

字天ゴウ瀧周辺図

(江尾全図 ※一部改変)

【 江美城概略図 】

江美城域図

(江府町史)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

永禄7年

1564年

8月、毛利方の武将、杉原盛重ら3,000騎が蜂塚氏の籠もる伯耆国江美城攻略のため陣を設営とされる。

陣の構築後、各隊は北の銀杏ノ段、南の兎丸を攻略、総大将の杉原盛重は在陣し指揮を采り、同月6日、当陣、銀杏ノ段兎丸から江美城本丸へ向け砲撃・射撃が行われたと云われる。(江府町史・陰徳太平記など)

※1565年(永禄8年)とも。

【 写 真 】(訪問日:2017/12/15)

字天ゴウ瀧の様子(西から東)

字天ゴウ瀧の様子(西から東)

字天ゴウ瀧の様子(西から東)

字天ゴウ瀧から字ヲクビの様子

字天ゴウ瀧から字ヲクビの境界

字天ゴウ瀧から江美城方面

字天ゴウ瀧の様子(東中ほどから西)

字天ゴウ瀧の様子(東中ほどから西)

字天ゴウ瀧の様子(東中ほどから西)

字天ゴウ瀧の段々の田圃の様子

字天ゴウ瀧の段々の田圃の様子

字天ゴウ瀧の段々の田圃の様子

南側の腰郭

南側の腰郭

北側の土塁と石塁

北側の土塁と石塁

北側に古来の登城道と伝わる道

伝登城道の虎口

市ヶ坂の堀跡