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HOME > 伯耆古城図録 ~日野郡篇~ > 八代峯城 > 同好会活動日誌

◆八代峯城【訪問日:2013/07/05】 登城難易度⇒ ★★★★☆(修羅)

下黒坂城を200mほど北上した丘陵に城郭があったとされる。

主郭などがあったとされる城山はたたら製鉄の真砂土採取によって平削され江戸時代中期には消滅。

現在は主郭があったとされる郭跡から一段下、南側麓の郭跡に神社が鎮座している。

(この社は移築されたもので、詳細については後述)

採られた真砂砂は鉄穴流し(かんなながし)によって日野川を下り、その土が流れ積もり弓ヶ浜半島

(米子市にある皆生一帯、もしくは日吉津や淀江の小波城以北とも)を形成したとする説もある。

明確な遺構として東側の堀切と、その堀切に溜まった敵兵を射るための矢場(矢倉)の郭跡が残る。

東側の堀切へは廃屋と藪が邪魔をし、矢場があった郭跡も藪化が凄まじく進入するのは非常に困難。

先の移築された社は元来この矢場の郭跡に鎮座していたが昭和に入って移築されたと云われる。

現在も旧社の躯体だけは朽ちかけながらも現存している。

城山の周りを歩く道中、一部に石垣が残るが城に由来する物かは不明。

南側から西側にかけて点在する郭跡群。

但し、先にも記載したように「鉄穴流し」の真砂土採取によって多大な改変を受けているとされる。

北西側には3条の竪堀、畝状竪堀(縄張り図では二重竪堀)と思われる遺構も残るが、

真砂土採取の改変による造作と考えることもできる。

畝状竪堀を東進すると北側の堀切が見える。

主郭周辺は真砂土採取によって平削されたことがわかっている為、郭跡の遺構は消滅済み。

現在は細身の竹が群生しており、こちらも進入は困難を極める。

―概 要―

名 称:八代峯城(やしろみねじょう/やよみねじょう)

別 名:八代ノ峰城(やしろのみねじょう/やよのみねじょう)

築城年:不明

所在地:鳥取県日野郡日野町下黒坂

築城主:不明

城 主:平宗盛の属将

形 態:丘城

遺 構:土塁、郭、堀切、二重竪堀(見方によっては畝状竪堀)、井戸跡

現 状:山林・神社

種 類:史跡指定なし

地 図:

―年表―

※詳細不明

―同好会活動日誌―

たたら製鉄の被害城【2013/09/29更新】