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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~倉吉市篇~ > 倉吉市 > 田内城

◆ 田内城

【 概 略 】

仏石山の丘陵南端頂部主郭跡に築城されているのは櫓風の模擬天守。

山頂からは伯耆国打吹城も確認できる。

城の規模は小さいが、郭跡、土塁、堀切、空堀、横堀、竪堀、石垣、礎石、石列遺構、石敷遺構など、多彩な遺構を短時間で楽しむことが可能。

 

岩壁の岩は岩阿弥陀と云い『南無阿弥陀佛』の文字が彫られている。

1544年(天文13年)に城下町、見日千軒を襲った天神川と小鴨川の氾濫でによる大洪水で亡くなった人々を供養するため、1714年(正徳4年)に倉吉町民が奉納したとされる。

町民が刻んだ文字とする説と、平安時代の宮廷画家、巨勢金岡が描いたとする云い伝えなど諸説ある。

 

米子・加茂川 地蔵さん巡り-虎の巻-では出典元が不明ながら慶長年間、中村一忠が伯耆国に入り伯耆国米子城を完成させると当城下からも米子城下へと住民が移り住んだとしている。

田内城下からの住民達は現在の西倉吉町に移されたとしているが、「見日千軒」と呼ばれた城下町は1544年(天文13年)に天神川と小鴨川の氾濫で流出し壊滅、その後、南条氏によって打吹城下(打吹山の山麓とも)へ移されていることから、慶長年間に田内城下が存在し、そこから移住したとする説には大きな疑問が残る。

【 遠 景 】

主郭の模擬櫓

阿弥陀堂と岩阿弥陀

岩阿弥陀

主郭からの眺め

【 見どころ 】

岩阿弥陀

当城の所在する仏石山の岩盤、田内神社の西側に「南無阿弥陀佛」と彫られ、見日千軒を消滅させた大洪水の犠牲者を供養するために奉納されたと云われます。

主郭の模擬櫓までは登山道が整備されているので容易に見て回ることができます。

南側の阿弥陀堂からの登山道は一部道の狭い場所があり、勾配も比較的急なので、安全に見て回りたい場合は北側の登山道を利用するといいかもしれません。

【 概 要 】

名 称田内城(たうちじょう)

別 名:巌城(いわきじょう)

所在地:鳥取県倉吉市巌城

築城年:1337年(建武4年)

廃城年:不明

築城主山名時氏

城 主:(伯耆山名氏)山名時氏山名師義

形 態:丘城

遺 構:郭、土塁、堀切、切岸、空堀、横堀、竪堀、石垣、礎石、石列遺構、石敷遺構

現 状:山林、墓地

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・新修 倉吉市史 第二巻 中・近世編(平成7年3月発行:倉吉市史編集委員会)

・米子加茂川地蔵さん巡り-虎の巻-(笑い通り協議会)

【城娘】

 

【 縄張図 】

田内城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

建武4年

1337年

延文年間

1356年

1361年

天文13年

1544年

正徳4年

1714年

昭和62年

1987年

模擬天守の築城。

【 写 真 】(訪問日:2013/05/06)

南側の登山口

南側の登山口に説明の碑

南側の登山道

南側の登山道

南側の郭跡

南側の郭跡

南側の郭跡

南側の郭跡

南側の郭跡付近に竪掘状の堀

南西側の登山道から模擬櫓

南西側の登山道

主郭直下の岩盤

主郭直下の岩盤

主郭直下の礎石残骸

主郭から南の空堀

主郭の様子

主郭の模擬櫓

模擬櫓の説明碑

主郭から北に下りた二の郭の様子

二の郭から主郭

二の郭の様子

二の郭の様子

二の郭の様子

二の郭の案内標

二の郭の土塁

二の郭と三の郭を隔てる堀切

二の郭と三の郭を隔てる堀切

二の郭と三の郭を隔てる堀切

墓地への改変跡

二の郭から北に下ると三の郭

三の郭の様子

三の郭の様子

三の郭の様子

三の郭の案内標

三の郭の北側にも登山口

阿弥陀堂

阿弥陀堂

岩阿弥陀

岩阿弥陀