トップページへ
お問い合わせフォーム

HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~西伯郡伯耆町篇~ > 旧西伯郡溝口町 > 古寺生松城

◆ 古寺生松城

【 概 略 】

伯耆志の二部村の条、古城の件に以下の記述が見える。

「一は土居山と称す。事蹟詳ならず」

 

郷土史「ふる里 野上の郷」では二部上要害二部下要害を合わせて「要害山」としており、字古寺生松城周辺の丘陵が「土居山」と考えられる。

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)では伯耆国二部上要害の北側郭跡を居館跡と推定しているため、伯耆国二部上要害の所在する場所が「土居山」の可能性も。

 

溝口町誌では以下の記述が見える。

「字古寺生松城にあり。西に面する地。左衛門(尉)実基の居城跡と云う」

 

城主の左衛門尉実基について溝口町誌では官位と諱のみの記述だが、後藤左衛門尉実基(實基)と推測される。

室町の頃、後藤左衛門尉実基が二部奥の地(二部宿字中寺)に寺を移し天寧山傳燈寺を号したとされ、後の兵火に遭い堂宇、城郭(当城)共々失ったが後藤左衛門尉基清によって再建とある。

※「ふる里 野上の郷」では”左衛門尉実清が再建するも廃頽”とあるが左衛門尉基清の事と思われる。

 

1573年頃(天正元年頃)、織田氏と対立した越前朝倉氏が没落すると朝倉氏に仕えた足羽将監の一族が二部村に入ったとあり、それまでは後藤氏が当地を治めたと考えられる。

足羽氏一族が二部村へ入る件には諸説あるが、この頃からの後藤氏の動向は不明となる。

足羽氏の頃にも天寧山伝燈寺は廃頽していたが足羽将監重成によって外護修復が行われたとある。

【 遠 景 】

南西側からの遠景

南東側からの遠景

農道南側の郭跡

南側は天然の川堀

【 見どころ 】

主郭と土塁

北側に土塁を配し、南側は川濠を利用して防御力を高め、西に見張櫓を置いた伝令施設と思われます。

二部要害の支城のような機能を備えていたかもしれません。

【 概 要 】

名 称古寺生松城(ふるでらいくまつじょう・ふるでらおいまつじょう)

別 名:二部要害城(にぶようがいじょう)、二部土居山城(にぶどいやまじょう)

所在地:鳥取県西伯郡伯耆町二部字古寺生松城

築城年:不明(天寧山傳燈寺の建立と同じ頃と考えられる)

廃城年:不明

築城主:不明(後藤実基と推測される)

城 主:(藤原氏)後藤実基後藤基清(毛利氏)足羽氏

形 態:平城

遺 構:郭跡、腰郭、帯郭、土塁、切岸、虎口?、櫓台?、空堀或いは竪堀(堀切、横掘)?

現 状:山林、畑地

種 類:史跡指定なし

【参考文献】

・伯耆志

・日野郡史 前篇(昭和47年4月 日野郡自治協会)

・日野郡史 中篇二(昭和47年4月 日野郡自治協会)

・溝口町誌(昭和48年9月 溝口町誌編さん委員会)

・ふる里 野上の郷(平成11年12月20日 溝口町二部公民館 著)

・溝口町制施行40周年記念 文化財ガイドブック ふるさと溝口(1993年 溝口町教育委員会編)

【城娘】

 

【 縄張図 】

古寺生松城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

応保2年

1162年

建保4年

1216年

永禄年間

1558年

1569年

越前足羽将監重成が二部要害山(二部下要害)に来城とあり、天寧山傳燈寺を外護修復したとされる。

【 写 真 】(訪問日:2014/10/12)

南側の郭跡は農道によって改変を受ける

農道途中にある道

道を進むと虎口

北側の谷に向かって配された土塁

土塁の上から

土塁北側には細い帯郭

主郭と土塁

主郭は北側への防御に特化している

主郭の様子

主郭北側の土塁

主郭北側の土塁下の腰郭

主郭北西の腰郭(上段)

主郭北西の腰郭(下段)

主郭北西腰郭と西の櫓台を隔てる溝

西の櫓台と思われる方形の高台

櫓台と思われる方形郭跡の様子

櫓台の方形郭跡北側(犬走り)

櫓台の方形郭跡北側(犬走り)下の腰郭

北西郭跡の様子

北西郭跡から櫓台の高台

主郭南西の土塁