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HOME > 伯耆古城図録 ~西伯郡篇~ > 門前鎮守山城 > 同好会活動日誌

◆門前鎮守山城

 

【 概 略 】

一説には名和氏に関係する城跡とされる。

 

山陰道建設のため2007年頃までに行われた遺跡調査によって字「鎮守山」の東側丘陵に土塁や堀切、集石遺構(石垣や井戸跡)など

防衛を意識した建物跡(城砦)の所在が確認されている。

麓の字「上屋敷」には屋敷跡(寺屋敷)や田畑の跡(寺畑)も発見されたと報告書に見える。

 

遺跡の一部は埋め戻され保存ともあるが、城跡の真上を通る山陰道部分の丘陵は削平され、

道路を支える橋脚部分は基礎工事による改変が行われたと考えられ完全に破壊されたと推測できる。

上屋敷跡、田畑跡も埋め戻されたと云われるがコンクリート舗装され面影は無い。

 

現在の残った鎮守山山頂に神社が鎮座しているが元々は寺であったと地元に言い伝えが残る。

そのため上屋敷を「寺屋敷」、付近の畑地を「寺畑」と地元では呼ばれている。

 

鎮座する神社付近(鎮守山南側)には土塁や堀切、郭跡と思われる箇所を確認することもできるが城跡に由来する遺構かどうかは不明。

山陰道が廃棄されない限り、城跡の遺構を見ることが不可能な城跡。

【 遠 景 】

鎮守山の北側は山陰道建設によって破壊

上屋敷跡や田畑跡は舗装されてしまった

土塁や堀切の出土した丘陵に山陰道が通る

【 概 要 】

名 称門前鎮守山城(もんぜんちんじゅやまじょう)

所在地:鳥取県西伯郡大山町門前

築城年:不明(鎌倉時代?)

築城主:不明

城 主:名和氏?

文 献:門前上屋敷遺跡Ⅱ・門前鎮守山城跡(鳥取県埋蔵文化財センター著:2007年3月30日)

形 態:丘城

遺 構:郭跡、堀切、土塁(堀切、土塁、集石遺構、石組井戸跡、石垣)※(内は消滅)

現 状:山陰道、山林、畑地

種 類:文化財指定なし

登城難易度⇒★(易しい)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

鎌倉時代

不明

発掘物から鎌倉時代に地鎮のまじないが行われたとされる。

(但し、築城の為の地鎮かどうかは不明)

中世

不明

土塁や堀切の堆積物から中世の山城が所在したと考えられる。

【 写 真 】

残った鎮守山

鎮守山への登城口(山陰道側)

登城道

移された祠

工事前の写真を見る限り祠は移設?

丘陵は削られ山陰道に

残された鎮守山の南側には郭跡がみられる

鎮守山の郭跡

鎮守山の郭跡

鎮守山の郭跡

鎮守山の郭跡

東側の郭跡にのみ土塁と堀切が見られる

東側郭跡の土塁と堀切

東側郭跡の土塁

集落側(東側)からの登城道

現在の鎮守山山頂には神社が鎮座

社名は不明だが元々は寺があったと伝わる

境内の石塔

山陰道北側の麓にある祠

鎮守山の寺畑

【おまけ】模擬櫓ではなく個人所有宅

工務店のモデルハウスだったとか

【おまけ】城跡付近にあった空堀

【おまけ】壕跡のような場所がいくつも残る

【同好会活動日誌】

残念ながらあたし達が伯耆国の城跡に興味を持つ前に壊されてしまった城跡だね。。。

今となっては写真でしか遺構を見ることができない城跡ね。

城主や城の歴史も全く解らない城跡みたいだけど、写真で見る限り面白そうな遺構が沢山出土したそうよ。

地元には「お寺」があったことだけが伝わっているみたいだけど、

「お城」があったことについては解らずじまいだったね。。。

城跡に関しては解らないことばかりだけど周辺には壕跡らしき洞穴が無数に所在したりするので、

城跡とは別の角度から調べてみると地元の歴史について何か解るかもね。

えっと、お城についての更新を期待してた人には申し訳ないけど…

今回はお城について何にも解らなかったです。

引き続き調べてみるので…何か解ったら追記します~。

・・・(情報が出てくるのかしら?)