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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~西伯郡伯耆町篇~ > 旧西伯郡溝口町 > 野上城

◆ 野上城

【 概 略 】

伯耆志に古城があったことが記されるが城郭についての資料は乏しく歴史など詳細は不明な点が多い。

城郭と一帯の旧字が「古城山(こじょうやま)」と云われ、砂防ダム建設のための発掘調査によって城下で戦国時代~江戸時代初めにかけて大規模な鋳造工房が所在したことが判明している。

 

城の直下で鋳造工房が操業していたことから、城主と鋳造師達の間に何らかの関係もあったと思われるがこの時代に当地での出来事を記す資料が殆ど見つかっていないため城郭の歴史同様、不明な点も残る。

鋳造工房では鍋など民生品の生産が主であったとされるが、梵鐘や茶釜の鋳型も見つかっている。

 

江戸時代初め頃、古城山の工房で作業をしていた鋳造師達は忽然とこの地から姿を消したと云われる。

通説での廃城時期は戦国時代と云われるが、鋳造師達が去った江戸時代初め頃の廃城とも考えられる。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)に描かれた縄張り図にある土橋を伴った堀切以西にも郭跡や堀切など遺構らしき造作物が存在するとされ、城郭の規模や主郭の位置についても諸説存在する。

【 遠 景 】

南東からの遠景

集落から三部神社へ

三部神社への参道

三部神社の境内

【 見どころ 】

三部神社

地元では「大宮さん」と呼ばれます。

境内の北側から城域へ入りますが、樹木売却のための採取で重機による破壊・改変があったそうです。

主郭へは北側の大堀切から登るのが楽かもしれません。

【 概 要 】

名 称野上城(のがみじょう)

別 名:三部城(さんぶじょう)

所在地:鳥取県西伯郡伯耆町三部

築城年:鎌倉時代

廃城年:不明

築城主:不明

城 主野上高継野上長龍

形 態:丘城

遺 構:郭跡、空堀、堀切、竪堀、土塁、土橋、井戸、櫓台

現 状:三部神社、山林

種 類:文化財指定なし

【参考文献】

・伯耆志

・日野郡史 前篇(昭和47年4月 日野郡自治協会)

・日野郡史 中篇二(昭和47年4月 日野郡自治協会)

・溝口町誌(昭和48年9月 溝口町誌編さん委員会)

・ふる里 野上の郷(平成11年12月20日 溝口町二部公民館 著)

・溝口町制施行40周年記念 文化財ガイドブック ふるさと溝口(1993年 溝口町教育委員会編)

【城娘】

 

【 縄張図 】

野上城略測図

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

鎌倉時代

不明

戦国時代

江戸時代

不明

城下では梵鐘や茶釜、鍋などを造る鋳造工房が所在したと云われる。

鋳造に使われた鉄の原料は日野郡(二部村周辺の福居)のたたら製鉄によって造られた鉄を利用し、鋳型によって鋳造を行ったとされる。

 

江戸時代に入ると武士、農民、職人、商人が農村から離れ始め、それぞれの身分によって住まう場所へと定着していったこともあり、江戸時代初め頃、城下から忽然と鋳造師達が姿を消したと云われる。

 

これまでの通説では戦国時代には廃城していたと云われるが、近年の古城山遺跡発掘調査によって鋳造工房の発見から鋳造の操業が江戸時代初め頃まで続いたとされることから、廃城時期もその前後とも考えられる。

【 写 真 】(訪問日:2013/11/16)

三部神社北側の切岸

三部神社北側(南出丸)は改変有

南出丸の郭跡

南出丸の南西側の重機侵入口

南出丸の改変地

南出丸東側の井戸跡の郭跡

南出丸東側の井戸跡の郭跡

南出丸東側の井戸跡

南出丸の土塁と空堀

南出丸の土塁と空堀

南出丸の土塁と空堀

南出丸の土塁と空堀

北側の大竪堀(東側)

北側の大竪堀(東側)

北側の大竪堀(東側)

北側の竪堀(西側)

北側の竪堀(西側)

北側の竪堀(西側)

主郭北側の土塁

主郭北側の土塁

主郭北側の土塁

主郭北側の土塁

主郭の様子

主郭の様子

主郭東側の腰郭

主郭東側の腰郭の井戸跡

主郭東側の腰郭の井戸跡

主郭西側の堀切に対する土塁

主郭西側の堀切に対する土塁

西側の大堀切

西側の大堀切

西側の大堀切

西側の大堀切

西側の大堀切の土橋

西側の大堀切の土橋

西の郭跡

西の郭跡

西の郭跡

西の郭跡

西の郭跡

西の郭跡

西の郭跡

西の郭跡

西端の郭跡と切岸

西端の郭跡と切岸