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HOME > 伯耆古城図録 > 伯耆古城図録 ~境港市篇~ > 鳥取藩台場 境台場

◆ 鳥取藩台場 境台場

【 概 略 】

攘夷思想の高まりと西欧列強の脅威に対し、鳥取藩主の池田慶徳が藩内各重要港湾に建造を命じた鳥取藩内の台場の一つ。

藩内台場の中でも最大の規模と武装を誇った。

 

1863年(文久3年)から鳥取藩主、池田慶徳の命により建造が始まり、翌年に完成したとされる。

城郭は松波宏元の設計で西洋式城塞の設計思想を取り入れ、藩の建造した施設としては極めて特徴的な台場とされる。

周辺沿岸と中海に通じる航路、境水道入口の防衛を視野に設計され、1864年(文久4年)に完成したとされる。

 

砲台は富山敬蔵による設計となり、砲台の設置は砲術師の武宮丹治と会見郡の大庄屋、山根作兵衛らによって建造が行われている。

1868年(明治元年)11月、砲台の設置が完了し、武装・城塞をあわせた台場としての全機能が整っている。

 

鳥取藩の逼迫した財政では台場建造への費用は捻出できず、民間からの献金と近村の村民・農民の無償労働・奉仕によって建造が行われたとされる。(協力的・自発的であったと伝わる)

砲台台座の土塁の盛砂は福定村以北の弓浜海岸や鼻東方沖の浅瀬から、土塁の被覆土には高麗山麓の黒土を淀江から船を使い調達とされる。

礎石となる石や山土は松江藩との交渉で対岸の島根半島から融通してもらったとある。

 

建造に携わった人夫数は延べ33,300余人~45,300余人。(資料によって開きあり)

建築期間にも諸説あるが、弓浜地方の村人を総動員して半年程の短期間で完成させた説と、近村の豪農・農民の積極的な協力があって1年程で完成したとする説があるが、ここでの完成は城塞部分のみと思われ砲台など装備が全て整ったのは明治元年11月と推定される。

 

完成後は鳥取藩士の富山敬蔵が民兵銃取立役として明治初期まで組織を統括している。

守備業務は構大庄屋が引き受け、近村農民で組織した農兵隊が担った。(当時、農兵訓練所のあった場所は現在の境港第一中学校)

明治維新後は台場もその役目を終え、明治30年に敷地は当時の金505円余(現在の505万円程度)で境町へ払い下げられた。

敷地面積は14,300㎡余

明治時代後半の1円は現在の1万円程度の価値があったとされる。

 

現在も旧時の遺構がほぼそのままの形を保つ貴重な史跡であり、昭和63年に史跡として国の文化財指定を受けている。

 

―明治以降の出来事―

山陰で最初の灯台

境台場の東北部に建つ白い灯台は明治28年に山陰で最初に建てられた灯台を平成3年に復元した建物。

復元前の灯台は昭和9年の廃灯まで、港入口の安全を守った海の交通遺跡であった。

 

日本海軍史上最大の事故

境台場の東中央部には昭和2年8月24日の夜に美保湾沖で行われた連合艦隊演習中の事故で亡くなった殉職者の忠魂碑(戦後は慰霊塔と改称)が建立されている。(昭和3年、地元の人たちの手によって建立)

 

この事故は夜間の演習中(悪天候下、暗夜、無灯火で行われた過酷で困難な訓練であったとされる)、巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨(わらび)」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦(あし)」が衝突し、「蕨」「葦」の乗組員、計120名が犠牲となった日本海軍史上最大の事故といわれる。

【 遠 景 】

北側からの眺め

北東の土塁隅に灯台

台場内の様子

北側の案内板

【 見どころ 】

国指定史跡 境台場

境水道や美保関方面の警戒を念頭に設計された西伯耆最大の台場跡です。

公園としての改変が目立つため遺構の状態や土塁の迫力は由良台場より劣りますが気軽に立ち寄れる史跡です。

春の桜の季節には花見の名所としても有名です。

【 概 要 】

名 称鳥取藩台場 境台場(とっとりはんだいば さかいだいば)

別 名:文久山砲台(ぶんきゅうやまほうだい)

所在地:鳥取県境港市花町

築城年:1863年(文久3年)8月から建造が始まり、1864年(文久4年)に完成。

廃城年:不明

築城主松波宏元

城 主富山敬蔵

形 態:砲台場

遺 構:高さ約7m、幅約40mの三段式台形土塁

武 装:六尾反射炉製 砲台8門(十八斤砲×2門、六斤砲×1門、五寸径砲×5門)※非現存

現 状:公園

種 類:国指定史跡(昭和63年7月27日指定)

【参考文献】

・鳥取藩史

・鳥取県史

・境港史

【城娘】

 

【 縄張図 】

不明

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

文久3年

1863年

文久4年

1864年

明治元年

1868年

明治30年

1897年

当時の金505円余で境町へ払い下げられる。

【 写 真 】(訪問日:2013/03/30:2013/04/13)

南側の案内板

灯台

慰霊塔 (忠魂碑)

慰霊塔

郭内の様子

郭内の様子

郭内の様子

西側の土塁

南側の土塁

北側の土塁

北側の土塁

北側の土塁

北側の土塁

北側の土塁

北側の土塁