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HOME > 伯耆古城図録 ~米子市篇~ > 石井要害 > 同好会活動日誌

◆石井要害【訪問日:2013/05/11】 登城難易度⇒★(易しい)

     【再訪問日:2014/06/21】 登城難易度⇒★★(普通)

【 概 略 】

古くは鎌倉時代、在地土豪の居館が始まりと云われる。

伯耆国を伯耆山名氏が支配した頃は在地の地侍、片山小四郎の居城であったと云われ、

西伯耆の支配が尼子氏から毛利氏に移ると古曳吉種が城番に置かれたと伝わる。

 

伯耆志では石井村の条、要害の件に以下の記述が見える。

「村の東北田中の山なり。八幡の小祠あり。片山小四郎といふ人の城なりと云へり。伝詳かならず」

 

伯耆国七尾城、伯耆国奥谷城など周辺の諸城と連携し、出雲・法勝寺方面へと続く街道の監視を担ったと郷土の資料、口伝に伝えられる。

 

伯耆国米子城の築城にあたっては吉川広家から築城を任された古曳吉種が当砦を参考にし、

水路(堀)などの配置を考えたとも云われる。(成美の歴史)

 

要害が所在したとする丘陵は宅地化(要害団地)によって造成、改変を受け遺構の殆どが消滅。

土豪の居館があったとされる独立丘陵部(字要害)のみが残され山頂には八幡神社が鎮座している。

八幡神社境内から北側に数段の郭跡と横堀の名残が残り、登城道となる参道脇には石積も見られる。

(石積は砦に関連する遺構か詳細は不明)

【 遠 景 】

南からの遠望

南東からの遠望

【 概 要 】

名 称石井要害(いしいようがい)

別 名:石井城(いしいじょう)、石井砦(いしいとりで)

所在地:鳥取県米子市石井

築城年:不明(鎌倉時代には土豪の居館が所在したと伝わる)

築城主:不明

城 主:伯耆山名氏…片山小四郎

    尼子氏…片山小四郎

    毛利氏…片山小四郎古曳吉種

    伯耆山名氏衰退後の片山小四郎の所属に関しては諸説あり

文 献:伯耆志、伯耆志捜図、伯耆民談記、石井村田畑地続字限絵図・要害図、牧野家古文書、

    石井村名寄帳(元禄2年)、成美の歴史(昭和61年3月25日)

形 態:平山城

遺 構:郭跡、横堀、土塁?、礎石?、井戸跡(主郭に所在したと伝わるが消滅済)

現 状:八幡神社、山林、宅地

種 類:史跡指定なし

【 地 図 】

【 年 表 】

年号 西暦 出来事

鎌倉時代

不明

在地土豪の居館が始まりであったと云われる。

独立した丘陵は天然の要害であり、出雲・法勝寺方面へ続く

街道の監視・防衛を担った要衝と伝わる。

室町時代頃

15世紀末頃

伯耆山名氏に仕えた伯州衆、片山小四郎の居城と云われる。

大永年間頃

16世紀初頃

尼子氏の西伯耆侵攻(大永の五月崩れ)によって山名澄之

対立した伯耆山名氏の勢力が西伯耆から排除されると

当城を与っていた片山小四郎を初めとする片山氏の一族も

但馬山名氏などを頼って国外へ退去したと云われる。

これには諸説あり、片山小四郎が尼子方に寝返る説では

引き続き当城を与っている。

永禄6年

永禄7年

1563年

1564年

毛利氏の下、片山平左衛門が尼子氏の籠もる天万固屋を焼討、

丸山固屋(小鷹城)など諸城を陥とす戦功を挙げており、

毛利元就より褒美として鎧兜を賜ったと記述が見える。

片山氏の動向には諸説あり。

 

片山平左衛門らが戦功を挙げ、毛利方によって柏尾周辺から

尼子方の勢力が駆逐された頃、当城も毛利方が領有したと

考えられる。

毛利方が回復した後の城主には古曳吉種が任じれられている。

天正19年

1591年

吉川広家古曳吉種に湊山への築城(伯耆国米子城)を命じると

古曳吉種は平城であった当砦を参考に水路(堀)の配置などを

設計したと伝わる。(成美の歴史)

【 写 真 】

南側からの登城道(八幡神社参道)

参道東側の帯郭

この先が横堀かも?

参道西側の石積

八幡神社境内

八幡神社境内(南側郭跡)

八幡神社境内(西側郭跡と土塁?)

八幡神社境内から北側の郭跡へ

境内から一段下の北側郭跡

北側郭跡付近の横堀

石井要害開拓の碑

「団らんのために要害を拓く」

【同好会活動日誌】

約1年ぶりに再訪。

当初は企画を始めたばかりで遺構の見方もさっぱりわからなくて…

境内北側の郭跡に気付かずスルーしていたので今回はその補完よ。

郭跡…と言っても宅地化でかなり削られちゃってるみたいなので、

帯郭程度の広さしか残ってないかも。

横堀も見ようによっては”それ”っぽいけど…怪しいなぁ。

伯耆志など多くの古文書に記述が見えるようだけど…

実際はあまり詳しく書かれていない城跡なのよね。

 

ざっくり”片山小四郎の居城”程度の記述しか見つけられないし。

調べ方が悪かったかも知れないけど、頼みの綱の伯耆志、石井村の条に

要害についての記述ってあったっけ?

なぜかメモに残ってないので今度図書館に行ったら調べとこ。

※平成26年7月27日に伯耆志に記載された条文を追記しました。

一年前に訪れた時は平成25年4月27日に八幡神社の遷宮が宗像神社の

取り仕切りによって行われたそうだから綺麗に手入れがされていたけど、

今回はちょっと草が茂っていたかな。

 

整備されてると思って油断してると、時期によっては痛い目見る可能性がある。

って事かもね。

ま、他の山城に比べると天国だけどさ。