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天野宗杷

(あまの むねつか)

【姓】天野【字】不明【諱】宗杷

【所属】中村氏

【官位】不明

【出身】不明

【生年】不明

【没年】1603年(慶長8年)

駿河国より中村一忠の伯耆国米子城入りに同道した人物。

米子城下の庶民に広く茶を普及させた茶人。

 

米子城騒動の引き金となった横田村詮暗殺計画では安井清一郎と共に計画を企てた主犯格とされる。

城内での横田村詮暗殺の際、横田村詮の刀を預かっていた侍童の逆襲に遭い左腕を斬られている。

(書物によっては斬られたのは安井清一郎であり、この時に斬られた箇所は右こぶしとされる。

 また、この物語では侍童を斬り伏せたのは天野宗杷自身であったと記述が逆転している)

 

騒動の鎮圧後、騒動へと至った経緯などについては一切の取調べが行なわれることはなく、

反逆罪として徳川家康からの直々の命で安井清一郎と共に即刻切腹を言い渡されたが、

キリスト教徒(切支丹)であったために切腹することができず、打ち首に処された。

 

一般的に通説では横田村詮の政治手腕に嫉妬し自らの出世の障害になると考えた同僚の安井清一郎

謀って暗殺計画を立案したとされるが、自身はキリスト教徒であり、狂信的な法華宗徒であった

横田村詮とは宗教的な考え、立場の違いから少なからず軋轢があったとも考えられる。

 

茶の普及のため広く米子町民とも交流を持っており、伯耆国内の各城下から産業や住民に半ば強制的な

移動や移住があった事も聞かされていたと推測でき、横田村詮の強引的な手法に疑問を持ったとも計画に加担した一因に考えられる。