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古曳長門守永綱(こびき-ながとのかみ-ながつな)

【氏】不明【姓】不明【名】古曳【通称】長門守【諱】永綱

【別名】木引長門守、古引長門守(こびき-ながとのかみ)

【所属】尼子氏⇒毛利氏

【官位】長門守

【出身】不明

【生年】不明

【没年】不明

赤松家の家臣。

赤松政則と離縁した紀成盛の娘が伯州へ戻る際に随行した人物で伯耆古曳氏の祖とも云われる。(陰徳太平記など)

 

播磨国から伯耆国へは1530年(享禄3年)頃に入ったとされ、紀氏譜記では伯耆国石井要害に居住したとされる。

郷土史では石井要害ではなく徳永村(徳長村)に居したとある。

 

1518年(永正15年)、進成村進久任に従い播磨太田城を攻略し播州に居したとされ、進成季が播磨国に在した時は山中鹿之介立原源太兵衛など尼子方の将兵と共にこれに属したとある。(伯耆志、陰徳太平記)

播磨国での記述から伯耆国へ移った後も尼子方の武将であったことが考えられる。

 

但し年号に関しては1530年(享禄3年)に進成村が二歳とあるので、誕生する10年前の1518年(永正15年)に進成村が従軍したとする記述には不整合な部分が見られる。

 

1549年(天文18年)、本願として宇田川神社を再建。